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我らをゆるしたまえ -Forgive Us-

 

 

 


(1)

 

その日は土曜日だったが、マキシンはこれがニックと過ごす最後の週末になるだろうと思っていた。
二人ともこれからのことを思うと気が滅入るのだが、やけっぱちになっているニックと違い、どちらかというと楽観主義であるマキシンは、差し当たってこの後どうしようかと考えを巡らせていた。

 

 


「そうだわ、ニック。天気もいいことだし、車を借りて海まで行ってみない? ほら、今年になってまだ行ってなかったでしょう?」
マキシンがキッチンから声をかけたとき、ニックは洗面台で手を洗っていた。皮膚が赤みを帯びるまで、何度も何度も石けんでこすっていた。
「なに言ってるんだよ。今、そんな場合じゃないだろ」

「だって、どっちにしろ、もうここにはいられないじゃない。どうせだったら気分がいいところへ行きたいわ。そうだ、ロード・アイランドはどう? 毎年、ニューポートでジャズ・フェスティバルをやってるはずよ。今年はサッチモが出るとかラジオで言ってたわ」
「サッチモ? ルイ・アームストロング?」
洗面所からニックが顔をのぞかせた。

 

 


「そう、ルイ・アームストロング。好きでしょ、ニック」
「好きだね」
タオルで手を拭きながら、ニックがキッチンに来た。
「見たいでしょ」
「見たい」
「決まりね」
マキシンが笑った。ニックも笑った。

 

 


「じゃあ、俺はおばさんにフォードのカギを借りてくるから、持っていく着替えをみつくろっておいてくれないか」
「フォードじゃなくて、キャディにしなさいよ。あのお尻の大きな黄色のキャデラック、すてきだわ」
「おいおい、貸してくれないよ。おじさんが新車で買ったばかりなんだぜ。まあ、訊くだけ訊いてみるよ。そうだ。よかったらついでに旅行用のトランクをひとつ、二階のクローゼットから出しといてくれないか」

 

 


玄関の扉が閉まる音がすると、マキシンはテーブルに置いてあったタバコを口にくわえた。

マッチを擦って火を点けようとしたが、手が震えていてうまく点けられなかった。
着替えと、トランク。

そうね、トランクは確かに必要だわ。
マキシンは階段をのぼって寝室に入り、クローゼットの扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

(2)

 

二人はキャデラックの屋根をオープンにして、島へ向かう海上道路を走った。

空の青と、海の蒼の境目。走る風が照りつける太陽の熱を心地よく冷ましてくれた。
白地に赤いドット柄のワンピースを着たマキシンが、助手席で帽子のつばを押さえながら言った。
「ニック、ソーダがあるわよ。飲む?」
スポーツシャツの袖をまくり上げ、深いグリーンのサングラスをかけたニック。
「いや、ビールがいいな。開けてくれるかい?」
ニックがラジオのつまみを回すと、陽気なブラスのフレーズが流れ出した。ペレス・プラード楽団の最新ヒット「パトリシア」だ。
「見て、吊り橋よ。あんなところを通るのね。船が下をくぐっていくわ。すごい」

 

 


海上道路の終わりが近づき、港が見えてきた。ひしめくようにヨットが並び、その白い帆が心躍る夏の日差しを反射させていた。
「ほら、あそこの船から子供が手を振ってるわ。なんてかわいい坊やなの」
ボードに書かれたウェルカムという文字を横目に、トールロードを抜けて上陸、幹線に合流し、いかにもリゾート地らしい豪邸が建ち並ぶ大通りをぬけて、さっき海から見たハーバーを目指す。
「見て、あの標識。フェアウェル・ストリートですって。おっかしいわ! 今、来たばかりなのに “さよなら” だなんてね」

 

 


風にゆれるヨットたちを見つけ、ハーバーを利用する客用の駐車場に、黄色いキャデラックを停めた。
ニックが車から身を乗り出し、ヨットからロープを下ろしている頭髪の薄い男にむかって声をかけた。
「やあ。いい天気だね」

 

 


声に気がついた男が顔をあげて応える。真っ赤に焼けた頭皮の上で、わずかに残った白い髪がゆれた。
「まったくだ。ヨット日和とは、こういう日のことをいうのだな。何か用かね?」
「今、着いたばかりなんだ。いいホテルを知らないか? フェスティバルの会場に近いといいんだが」
「ふむ、会場はベルコート・キャッスルってところなんだが、ここを引き返して右へ曲がると、ベルヴィル・ストリートへ出るから、そこを道なりに行けばすぐ見つかる。ただ、会場の近くはどこも多いだろうから、逆に、会場とは反対方向の宿を探したほうがいいだろうな。まあ、もっと詳しく教えてやれたらいいんだが、私たちはあいにくホテルではなくて、サマーハウスで過ごしているものでね」
「こりゃどうも、ご親切に」
それを聞き終わるか終わらないかのうちに、ニックがまたエンジンをかけた。
マキシンが口をはさんだ。
「お礼にあなた、ソーダなんていかが?」
「結構だ。ありがとう。よい一日を」

 

 


ハーバーの男の言ったとおり、会場付近の宿は満室を理由に断られた。知らない道を車でうろつき回り、古ぼけた小さな宿にやっとチェックインできた。

隣接のレストランでの遅い昼食をとり、デザートのライチ・シャーベットですっかり上機嫌になった二人。
それから腹ごなしに通りを探索した。ビーチは思ったより遠かったので、海が見える前に引き返した。

 

 

 

部屋に戻った二人は抱き合ってセックスをした。
バスルームから出てきたばかりの頬を赤くしたマキシンが、そろそろ会場へ行こうと誘ったが、ベッドの上のニックは運転で疲れたと言い、そう言えば二人とも前日は一睡もしていなかったので、そのまま夕方までひと眠りすることになった。
「急ぐことはないだろう。サッチモの出番はもっと遅いはずだ」

 

 


ニックが目を覚ますと、夕方どころか、窓の外は真っ暗な闇に塗りつぶされていた。
起き抜けに、ニックがマキシンに怒鳴った。
「どうして起こさないんだ!」

 

 


濃いブルーのインナー姿でベッドに腰掛け、雑誌を眺めていたマキシンの眉が吊り上がった。
「起こしたわよ。何度も声をかけたけど起きなかったの! 悪いのは自分じゃない。どうして私が怒られるのよ!」
舌うちするニック。
「いいか。相手が起きないんだったら、起こしたとは言わない。起こす約束をしたときは、相手が起きるまで、揺すってでも、叩いてでも起こすんだ!」

 

 

 

「知らないわよ、そんなの! 私だって、ほんとは出かけたかったわよ! でも、あなたすごく疲れてるみたいだったから、がまんして寝かせておいてあげたのに! あなたの奥さんだったら、こういうときどうしてたの? やさしく起こしてくれたの? ママが子供を起こすときみたいに? さあ、ベイビー、もう朝でちゅよ。おっきしまちょうね。かわいい、かわいい、私のベイビー!」
ニックが拳を振り上げた。
マキシンは動じず、ニックを見据えた。
置き時計の針の音に混じって、雨粒が窓ガラスをなでる音が聞こえた。

 

 

 

ニックの腕がだらりと下がった。

うつむいた細い顔に、照明が濃いオレンジ色の影をつける。
「……あいつのことは言うな」
マキシンはベッドから飛び降りると、電気スタンドをつかんで床に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

(3)


1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバル。
夜は深まり、すでに日付は日曜に変わっていた。

会場は途中から降り出した雨のなか、興奮しきった観客たちが一心にステージを見つめていた。

 

 


出演者中、最後に登場したゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンは、たったのひと声を発しただけで、すべての人々の心をつかんだ。母性の固まりのようなふくよかな体で、ステップを踏み、手を打ち鳴らし、その迷いのないまっすぐな声で、神への感謝を魂のかぎり歌い上げるマヘリア。

 

 


「ゴスペルソングは希望の歌です。人はゴスペルを歌うことで、苦しみや悲しみを癒すことができるのです」

 

 


降り止まぬ雨、それにも関わらず何度も巻き起こる熱狂的なアンコールの拍手に、再三再四ステージに戻された彼女は、少女のようなはにかみで応えた。
「なんだか、スターにでもなった気分だわ」

 

 


星の瞬きのようなピアノのイントロに導かれて歌い出した祈りの歌。それはクライマックスにむけて力強さを増し、人々を未来に導く神々しい光のようだった。

 

 


 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
 我らの罪をもゆるしたまえ


 我らをこころみにあわせず
 悪より救い出したまえ


 AMEN

 

 

 

 

マキシンとニックは手をつなぎ、会場の一番後ろでその光景を見ていた。

まるで乗り遅れた船の出航を見送るように、二人はそれが見えなくなるまで、ずっとそこで立ちすくんでいた。

 

 

 


会場からホテルに戻ったマキシンとニックは、濡れた服を脱ぎ、バスタオルをかぶって、ベッドの縁に並んで腰掛けていた。
マキシンが口を開いた。
「彼女の歌、すばらしかったわね」
「ああ」
「私たちも、ゆるされると思う?」
「…それは」

 

 


二人の目が同じものを見ていた。

ベッドの脇に置かれている、ずっしりと重い革のトランク。人ひとりがはいるほどの大型サイズ。

ヒザを抱えた恰好で冷たくなっている、見えないはずの中身が、二人にはまるで見えているかのようだった。
マキシンが笑った。
「サッチモ、見られなかったわね」

ニックの腕が、マキシンの冷たい肩を抱き寄せた。

 

 

 

 

 

(4)


朝が来た。
ホテルの駐車場で、制服を着た二人の男が黄色いキャデラックを覗き込んでいた。彼らはうなずくと、フロントに廻って支配人を呼んだ。
部屋のドアがノックされた。中からの応えはなかった。

支配人が合鍵を使ってドアを開けた。

 

 


セミが鳴いていた。

朝とはいえ、窓から差し込む光はもう、強い夏の日差しだったのだ。

 

 

 

 

 

 

Thanks For Inspiration, MAHALIA JACKSON
『NEW PORT 1958』(1986)
映画「JAZZ ON A SUMMER'S DAY  (邦題 真夏の夜のジャズ)」(1960)

 

 

| ショート・ストーリーズ | 01:10 | - | - | pookmark |
口唇の荒れた女 -Her Chapped lips-

 

 


仕事帰りの乗客のため息で満たされた夜のバスは、水槽の中にも似た青い光が沈んでいた。

窓ガラスの向こうの暗闇に、まばらな電球で囲まれたガソリンスタンドの看板が小さく揺れていた。

 

 


私のとなりに座る女からは濃密な夜の匂いがした。

光沢のある黒い肌、長い黒髪。大きな目をさらに誇張する原色のシャドー、張ったほお骨に、ラメのはいったオレンジ色のチーク。ノースリーブのピンクのシャツの胸元がVの字に開き、胸の谷間があられもなく見えている。

 

 


「よくある話なんだけどね」

窓に映った女の横顔が、私が訊ねもしないことを話し出した。

 

 


「私がまだ小さい頃、ママが新しいパパと結婚したの。それまでずっとママとふたり暮らしだったから、最初はやっぱり、とまどったんだけど。でも、パパはすごく優しい人で、私はすぐにパパが大好きになった。毎朝、私がふたりにコーヒーをいれてあげて、日曜日には3人でよく釣りに行ったわ」

 

 


バスが停車し、前の席の若い男女が降りた。

乗り込んでくる客の姿はいない。

 

 


「私が12歳になったばかりの、ある午後のことよ。その日はイースターでもないのに、パパが家のあちこちに卵を隠したの。殻にとてもすてきな装飾がしてあってね、私、そういう飾りものも宝探しも大好きだったから、玄関、リビング、階段、クローゼット、見つけるたびに飛び上がって喜んだわ。でも、最後にパパとママのベッドルームでまくらの下にあった卵を見つけたとき、いつのまにかそこにいたパパの手が、私の手を包んだの。とても大きな手だった。私は驚いたけれど、いやじゃなかった。それが私たちの最初だった」

 

 


通路を挟んだ席の痩せた老人が、目をつぶったまま小さく十字を切った。
窓の外では、カーブにそって並んだモーテルの看板がゆっくりと近づき、そして過ぎ去っていく。

 

 


「それから私は、ママが出かけるのが待ち遠しくなった。二人きりでパパに愛してもらえたから。でも、ママは気がついていたの。ある日の朝、グラスに注いだミルクを床に落としたあと、私にこう言ったわ。

『いったい、自分が何をしているのか、わかってるの? あなたたちは男同士じゃないの』

 

 


「その頃にはもう、それがどういうことなのか、自分でもわかっていたわ。

ええ、わかっていたけど、だからって、どうしろっていうの?」

 

 

 

「結局、ママはパパと別れて、私たち二人は遠くに引っ越したわ。

それからママは私を育てるために、昼も夜も働いた。毎日毎日、同じ服を着て早朝から出かけ、日付が変わるくらいの時間に、しわだらけの疲れた顔で戻ってくるの。肌は乾ききって、いつも口唇がひび割れてたわ。お金がなくて、まともな食事がとれなかったの。私が家を出るまで、ずっとそうだった」

 

 

 

バス停が近づき、スピードが落ちる。

 

 

 

「…でもね、…でも、私は」

 

 

 

私はトランクを抱えて席を立った。

窓に映った彼女は、両手で顔を覆っていた。

 

 


「……ママ…」

 

 

 

 


家に着くと私は、廊下の灯りをつけ、帽子を脱いで壁にかけた。

洗面所に行き、顔を洗って、口をゆすいだ。

階段を上り、自分の部屋に行く前に、寝室をのぞいてみる。

 

 


母は眠っていた。抜けた白髪だらけのまくらに青い顔の半分を沈め、喉に何かがひっかかったような不規則な呼吸をしている。部屋に染み込んだ、汗と病いと埃のにおい。

私は中に入り、ベッドの脇の椅子に座った。額に手をあてると、その湿った熱が伝わってくる。

眠っているときでさえ、母は苦痛に顔を歪めていた。

彼女の、口唇のしわにそって固まった細い血の線を、指でなぞった。

 

 


私は自室に戻ってドアを閉めた。

トランクを開け、中から油紙の包みを取り出す。

持ったことのない重みで手に汗がにじんだ。

 

 

 

長年の病いに母は疲れきっていた。

私もそうだった。私たちはこの苦しみから解放されたかった。

そのためにわずかな蓄えをすべて注ぎ込んで、この道具を手にいれた。

 

 


ただ、その日は今日ではなかった。

明日はどうだかわからないが、今日は、その日ではなかったのだ。

 

 


包みを机の引き出しの奥にしまい、鍵をかけた。
カーテンの向こうから、風がガラスを叩く音が聞こえた。
私は机にノートを広げてペンを握り、何を書くわけでもなく、次第に強まっていくその音に、ずっと耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

Thanks For Inspiration :  BRIAN BLADE & THE FELLOWSHIP BAND『Season Of Change』(2008)

 

 

 

 

 

| ショート・ストーリーズ | 02:23 | - | - | pookmark |
黄昏は朱く燃えて -Sunset Glow-

 

 

 

私の父、ハワードのことを振り返って真っ先に思い出すのは、

バンパーの曲がった車から漂う油の匂いと、彼のさみしそうな笑顔のことだ。

 

 


父は結婚する前からずっと土木現場で働いていたのだが、私が小学校の高学年になったあたりで体調を崩し、仕事を休みがちになっていた。月に何度かは病院へ通い、朝、元気に出勤したかと思えば、青い顔をして昼過ぎに帰ってきたりした。夕飯前に仕事から戻った母が、ポーチに脱ぎ散らかされた泥だらけの作業ブーツを見て、玄関先から大声で父の名を呼んだものだ。

 

 


あるときから父は、当時私が参加していた野球チームの練習を見にくるようになった。

彼の主治医が、気分転換に趣味の時間を設けることを勧めたからだ。

父はハイスクール時代、州の大会で優勝するようなチームの一員だったらしく、やるのも観るのも、なにしろ野球が大好きだったので、私たち兄弟にバットとグローブを与えたのは当然のなりゆきだった。

 

 


午後3時頃、車から降りた父は、いつも一塁側のフェンスの向こうから手をあげる。

ティアドロップのサングラスをかけ、日に灼けた額と美しいウェイブのかかった鈍いブロンド。洗ったばかりのシャンブレーシャツの袖をまくり、デニムを好まない父は、それにカーキの作業用ズボンを合わせた。

葉の青々としたナラの木の下、太い幹に背中をあずけ、腕を組む。野球と肉体労働で鍛えられた父の体躯は息子の私から見ても見事なもので、まるで映画スターのようだとうわさするチームの仲間たちに、私は内心、鼻を高くした。

彼はコーチのダフィに声をかけ、ひとこと、ふたこと、その突き出たお腹をからかいながら、胸ポケットから抜き出したラッキーストライクを一本くわえ、マッチを擦って火を点ける。

夏の強い日差しと木々の影。ときおり舞う砂埃と草の匂い。

 

 


影の伸びるグラウンドからの帰り道。まだ舗装されていなかった道路と激しいエンジンの振動に私たちは揺られた。

父の車はディーゼルエンジンで、燃料の軽油は会社からいくらでも支給されるのだと言っていた。

私と弟は全開にした窓から、炭のように燃える真っ赤な空と、そこに広がる紫色の雲を眺めた。

お腹も空いたし、母が待っているのはわかっているのだが、なんだかいつも、もう少し乗っていたい気分にさせられた。そんな私の心を察してか、父はよく家へむかう方向とは反対の道へハンドルを切った。

 

 

 

永遠に続くかのようなトウモロコシの深い谷の中を、私たちはお気に入りのテレビドラマの主題歌を歌いながら走り続けた。そこを突き抜けると、前方に広大な土地が姿を現す。

立ち入り禁止の看板の先には、視界いっぱいの岩肌と、恐竜にも似た重機たちの影。

車を降りて、それらを見渡しながら父は言った。
「お前たちが大きくなる頃には、ここはでっかい街になっているはずだ。学校、病院、スーパーマーケットに映画館。緑あふれる公園にバスケットコート。スケートリンクや、野球のスタジアムだってできるだろう。子供たちの未来をつくる新しい街。それに関われるのが父さんたちの誇りなんだ」

 

 


ある日、ショーンの小型ラジオが盗まれてしまった。

ショーンはチームの補欠で、コーチのダフィの息子だった。次の試合で私はスタメンから外された。代わりにセカンドのポジションについたのはショーンだった。理由を問いただそうと喰ってかかる私に、ダフィは目も合わせないまま「自分の胸に訊いてみろ」と言った。前々から同じラジオが欲しいと触れ回っていた私は、彼ら親子に疑われていたのだ。

 

 

 

他のチームメイトからそのことを聞いた父は、私を連れてダフィの店に怒鳴り込み、通路を後ずさる彼のエプロンをつかみ上げた。
「いいか、よく聴け。チームのオーダーはあんたの決めることだから文句はない。うちの子が実力不足なら、補欠にでもなんでもすればいい。だがな、この子の努力を踏みにじるようなまねや、人としての誇りを傷つけることは、絶対に許さない。忘れるなよ、俺は絶対に許さないからな」
普段おだやかな父のあまりの激昂ぶりに、ダフィは床にへたり込んだまま立ち上がれなかった。

息を荒くした父は、ポケットから革の財布を取り出し、折った紙幣とありったけのコインをダフィの突き出た腹にむかって投げつけた。
「勘違いするんじゃないぞ。これは今あんたの尻がつぶしている、ミンチ肉の代金だ」

 

 


帰りの車の中で私と父はずっと無言だったが、家に着く前の最後の交差点で、私は父に言った。
「僕、チームをやめるよ」
信号が青になった。

父は一瞬、私を見、それからアクセルを踏んだ。「そうか、じゃあ、別のチームを探さないとな」
「いや、ぼく、もう野球はやらないよ」
車が右折する間、ウインカーの音だけが聞こえた。
「そうか、わかった。お前がそうしたいなら、それでいい」
ハンドルを戻しながら、父は笑った。とてもさみしそうな笑顔だった。
「それから、父さん、あの、ラジオのことなんだけど…」言いかけた私の言葉を、父は厚い手の甲でさえぎった。
「もういい。俺はお前を信じてる。たとえ、お前が何をしたとしても、必ず父さんが守ってやる。それだけは忘れないでくれ」
そう言って父は、私の頭に手をのせた。硬く、重い手だった。私は下をむいてシャツの裾を噛み、あふれそうになる涙を必死でこらえた。
ラジオはその晩、庭のブナの木の根もとに埋めた。

弟も一緒にチームをやめたので、夕方のドライブはそれきりになってしまった。

 

 


父が死んだのは私がハイスクールのときだった。

冷たい雨の中、夜通しで仕事をして帰ってきて、眠っている間に心臓が止まってしまったのだ。

 

 

 

葬儀の日は輝くような晴天だった。父のために多くの人たちが来てくれた。年老いた人も若い人も、目を真っ赤にして泣いていた。父がどれだけ愛されていたのかが、よくわかった。だが、私はといえば、そのとき思春期のまっただ中だったこともあって、父とささいなことで喧嘩をし、亡くなる数日間から、まったく口をきいていないままの別れだった。

あんなに寛大だった父の、私が最後に聞いた言葉はこうだ。
「お前にはもう、このドライヤーは使わせないからな!」

 

 


けたたましいクラクションが鳴った。後ろに並んだ大型トラックからだった。

久しぶりに通ったこの道で、思い出の海の中を漂っていた私は、目の前の信号が変わっていることに気がつかなかったのだ。私はあわててサイドブレーキを戻し、鳴り続けるクラクションに煽られるように、つま先でアクセルを押し込んだ。交差点を越えて停車し、猛然と加速するトラックをやり過ごした。再び車を出す前に、ダッシュボードからケントを取り出してライターで火を点け、運転席の窓を少し開けた。

 

 


無数のテールランプの列。フロントガラスの中で移りゆく空と雲は、あの頃に見た美しい色合いを思い出させたが、ハンドルを切ったその先は、もうトウモロコシ畑ではなくなっている。

夕方の住宅地を照らすオレンジ色の光と、沈殿するいくつもの人生の影。

規則的に並んだ街灯ごしに見える高台は、分譲がうまくいかず、その多くが更地のまま残っている。

 

 


係員の誘導に従って敷地内に入り、空いている駐車場に車を停めた。

バックシートにあった上着をつかんで車から降り、建物の正面へ回って階段を昇る。

硬質ガラスの回転扉を抜けた瞬間に、誰かの怒号が聞こえる。

青い蛍光灯で照らされた廊下の奥へ、人が慌ただしく走っていくのが見える。

 

 


私は立ち止まって胸に手をあて、大きく息を吸い、吐き、そしてカウンターの中にむかって声をかけた。
「エクスキューズ・ミー」
私の声で、手元の書類を見ていた若い男が顔をあげる。
「どうされましたか?」。職業柄か、とても鋭い目をしている。
「ジェンキンス警部を呼んでいただけますか。さっき彼から電話をもらったんです。すぐここに来るようにと」
男はうなずきながら黒い受話器を耳にはさみ、「お名前を」と言った。
「ハミルトンです。いま、ここに拘束されているラリー・ハミルトンの……父です」

 

 


ねえ、父さん。僕が奪ったのがラジオじゃなく、それが人の命だったなら、

父さんは僕を許してくれたかい?

お前を必ず守ると言ってくれたかい?

 

 


目の前で、ジェンキンス警部がラリーにかけられた容疑について話している。

他の刑事から、何枚かの写真を見せられる。

あまりのことに、私はテーブルのコップを倒してしまう。

 

 

 

「ミスター・ハミルトン、大丈夫ですか? ミスター・ハミルトン、少し休みますか?」

 

 

 

 

 

Thanks For Inspiration : STEPHEN BRUTON『From The Five』(2005)

 

 

 

 

| ショート・ストーリーズ | 22:48 | - | - | pookmark |
【LIFE & SEX】コラボ T-SHIRTS “JAMES”

 

 

 

 

 

 

 

 

市川“JAMES”洋二 × 上條淳士 × CAFE SWORDFISHによる
コラボレーションT-SHIRTS “JAMES”

 

 

 

初のソロアルバム『LIFE』をリリースしたベーシスト、市川“JAMES”洋二。
30周年記念新装完全版『SEX』の刊行を目前に控える、漫画家・上條淳士。
両者による記念イベント『LIFE & SEX』のタイトルを刻んだスペシャルコラボ。  
作製・販売は CAFE SWORDFISH が担当します。  

 

 

2017.3.10 JAMES BIRTHDAY LIVE at 下北沢GARDEN会場にて販売開始。

 

 

※後日、追加発表あり。

 

 

 

 

2017年3月10日(金)下北沢 GARDEN「ジェームス58歳バースデイライブ」
 

出演
市川“JAMES”洋二(Vo&Ba)
鈴木“ZUZU”将雄(Dr)
五十嵐“JIMMY”正彦(Gt)fromTHE EASY WALKERS
山嵜 吉満 (Hammond))fromJamesSoulBand

 

開場 19:30 開演 20:00
椅子席 前売り ¥4500 / 当日 ¥5000
スタンディング 前売り¥3500 / 当日 ¥4000
当日のみ学割¥2500

 

GARDEN
東京都世田谷区北沢2-4-5 mosia B1F  03−3410−3431
  

 

手売りチケットはジェームスライブ会場にて
プレイガイド(店頭、ぴあ、ローチケ、イープラス)
チケットぴあ Pコード:308-037
ローソン Lコード:72205
イープラス
おひとり様4枚まで

 

 

 

 

市川“JAMES”洋二/ICHIKAWA“JAMES”YOUJI

 

1959年、吉祥寺生まれ。ベーシスト / シンガー・ソング・ライター。
1983年にTHE STREET SLIDERS のベーシストとして デビュー。

2000年に解散するまでの17年間で、アルバム15枚、シングル23枚をリリースし、

武道館9公演を含む679本のライブを行う。
以降、ベーシストとしてバンドへの参加や、ライブサポート、レコーディングなどに携わりながら、

プロデューサーとしてもアーティストの発掘、育成に関わる。
近年は「ひとり旅」と題したベース弾き語りのツアーをライフワークとし、

ソウルフルかつロックなベース・プレイと自虐ネタ満載の人間味あふれるトークによって、

新たなファンを獲得している。
2016年12月、自身初のソロアルバム『LIFE』をリリース。
2017年3月10日、下北沢GARDENにて“JAMES”58歳バースデイライブを行う。

 

市川“JAMES”洋二 オフィシャルサイト

 

 

 

 

 

上條淳士/ATSUSHI KAMIJO

 

漫画家。東京都出身。1983年デビュー。
1985年から週刊少年サンデーにて『To-y』を連載。
「紙面から音が聴こえる」と評された様々な革新的表現で、
後進の漫画家、ミュージシャン、各界のクリエイターにまで大きな影響を与える。
同作完結後は活躍の場を青年誌に移し『SEX』『赤×黒』『8(エイト)』『DOG LAW』などを発表。
その筆致のスタイリッシュな魅力は他方面から求められ、
広告のビジュアルやCDジャケット、小説の挿絵などにイラストに提供、
アニメーションやゲーム作品のキャラクターデザインにも携わる。
2013年、画業30周年を記念した初の画集『1983』を上梓。
2015年12月、連載当時のカラーを再現した完全版『To-y』完全版 全5巻が刊行開始。
それに伴い、東京・吉祥寺を皮切りに全国各地で原画展が開催された。
2017年、「基地」のある街を舞台に、褪せることのない夏を描いた名作
『SEX』が誕生30周年を迎え、新装版にして完全版 全4巻が3月より刊行される。

 

上條淳士 オフィシャルTwitterアカウント @atsushi19630312

 

 

 

 

ソードフィッシュONLINE カテゴリー DANY McBAN

 

 

| NEWS | 01:05 | - | - | pookmark |
古明地洋哉 インタビュー <序文>

 

 

 

 tonight, tonight

 

  

 真冬の夜空の下 歩き慣れたいつもの道

 物憂げな君の横顔 月の光が照らしてた

 

 人工衛星が僕らを星の陰から見つめている

 

 tonight, tonight

 どこに隠れたらいいんだろう?

 僕らが愛し合うには

 

 少年は部屋に籠り 少女は朝まで帰らない

 世界は変わらないだろう 革命は制圧されるだろう

 

 人工衛星が僕らのアジトをじっと見張っている

 

 tonight, tonight

 どこに隠したらいいんだろう?

 大切なこの凶器/狂気を

 

 世界の裏側とだって

 すぐにでも繋がれるこの時代に

 tonight

 今、隣で眠る君のことだけがわからずに泣いた

 でもそれはきっと素敵なことだろう

 僕らがわかり合うには

 

 

 詞・曲 古明地洋哉 

 ©Hiroya Komeiji

 

 

 

 

 

「ようやく、つくろうという気になった」

 

 

 

彼のライブに足を運んでいる長年のファンの方はご存知だろう。未だ音源化されていない彼の歌の数々がいかに素晴しいものばかりであるか。そして彼がどれだけの年月をかけて、それらのメロディー、詞、ギターのフレーズを磨きあげているか。

 

 

 

古明地洋哉が本当に久しぶりに自身の作品としてリリースした楽曲が「tonight, tonight」である。

シンプルなアコースティック・ギターのストロークで語られる日常の静かな夜と、その裏で実は存在する大いなる危うさ。僕と君と世界の距離は一瞬にして近づき、遠ざかる。知ろうとすればどんなに離れた国の窓まで覗ける現代で、面前の大切な人ともわかりあえないというディスコミュニケーション。でもそれは素晴しいことだろうとつぶやき、あきらめでも希望でもなく、問いかけという余韻を残して歌は終る。アウトロに重ねられたエレクトリック・ギターのシンプルなフレーズが儚い星の瞬きのようでもある。美しい曲だ。

 

 

 

結果的にメジャー最後のシングルとなった『空砲 / 世界の果て』をリリースしたのが2005年。今から実に12年前である。それからの決して短くない期間、古明地洋哉はいっさいの音源作製をせず、1本のギターを抱えた弾き語りのライブを精力的に行っていた。

 

 

 

「事務所を離れてまず思ったのは、もっとライブやっとけばよかったなと」

 

 

 

「メジャーにいたときはバンドのサポートありのライブだったし、方針もあってそんなに本数もやらなかったんだけど、ひとりになって、とにかくライブをやろうと思った。シンガーソングライターを名乗るなら、パフォーマンスを上げて、ひとりでステージに立てる自分になることから始めないと」

 

 

 

それから2017年の現在に至るまで、彼の活動のほぼすべては弾き語りのライブである。

阿佐ヶ谷駅にほど近いアコースティックライブバーharness(ハーネス)で、数年前から始めた月イチワンマンは昨年中に50回目を数えた。会場も今では彼のホームグラウンドとなっている。

時おりイベント出演やシンガー仲間との各地でのツアーをはさみながら、研鑽を重ねたソロのステージ。新しい曲をつくり、既存の曲をストイックに磨き上げ、好きなアーティストのカバーを自作と思えるまで消化し、練り上げる。それだけをやり続け、気がつけば10年の時をはるかに越えていた。

 

 

 

ライブをやっていれば当然、ファンや会場側から音源を求められたこともあっただろう。好きなアーティストの新しい曲を手にしたいという欲求は確実にあるからだ。古明地は、だが、それについて全く考えなかったという。

 

 

 

「天の邪鬼だからね。新曲はライブに来なきゃ聴けないってアーティストがいてもいいので」

 

 

 

客席から嘆きの声とため息が聞こえるようである。

 

 

 

状況が変わったのは2014年の真夏のこと。

四日市在住のシンガー、胡池マキコとのスプリット盤が、ふたりのツアー会場限定販売としてリリースされた。

突然のことに、ファンは喜ぶというより驚いたのではないか。

 

 

 

「マキコちゃんにつくりませんかって言われて。ツアーをいっしょに回ろうとしてたし、ああ、つくろうかって、そのときは自然に思えた」

 

 

 

そうしたいと思ったから言ってみた。彼女にとってはただそれだけのことだったかもしれないが、何しろ胡池女史のファインプレイである。タイミングというものがどれだけ大事であることか。

 

 

 

古明地洋哉 胡池マキコ名義の『ふたつの月 ひとつの夜』は4曲入りで、そのうち2曲はお互いの曲のカバー、あと2曲がそれぞれの未発表音源という構成。

胡池が歌う古明地の楽曲「青空、赤い花」に始まり、古明地による胡池楽曲「wonderland」、胡池自身が歌うオリジナル曲「月の管理人」、そしてラストに収録されているのがテキスト冒頭の「tonight, tonight」である。

半分がカバー、さらに短い収録時間ながら、そのすべてが美しく、タイトル、曲順、ジャケットも含めて、ひとつの世界を表現した完璧なパッケージだと筆者は思っている。

「青空、赤い花」について、とある女優兼シンガーが歌うことになっていたかもしれないというのは余談である。

 

 

 

この作品はMTRによって記録された。四日市のライブハウスの楽屋、そしてわずかなダビングを東京の自宅で。エリオット・スミスを思わせるいい意味でラフで素朴なその音像に、彼は確かな手応えを感じたらしく、それまでライブで磨き続けて来た数々の曲をまとめ、音源としてリリースすることを決めた。

 

 

 

「スプリット盤の作業、やってて楽しかったからね。ようやくそういう気になった」

 

 

 

今年リリースされるならば、実に12年ぶりの新作ということになる。ちなみに「tonight, tonight」「青空、赤い花」が収録されるかは未定である。

 

 

 

2017年1月現在、候補曲のブラッシュアップ等、準備はほぼできているというが、実際のレコーディング作業はまだ始まっておらず、本人の弁によればふさわしい場所を探しているとのこと。

希望は、機材をセッティングしたまま数日間生活し、作業だけに集中できる場所。

かつて彼が敬愛するクリス・ウィートリーは住居の浴室のリバーブを利用して1枚のアルバムをつくったとされるが、それに倣うでもなく、また当然のように、正規のスタジオでとも考えていないらしい。

 

 

 

「場所さえ見つかれば、いますぐにでもレコーディングしたいんだけどね」

 

 

 

そうは言いながら、ライブやツアーのスケジュールは埋まっていく。それが活動の中心であることは変わらないからだ。彼が納得できるもうひとつの居場所が、できるだけ近々に(時間の経過的にも、物理的距離にしても)見つかるのを、このテキストを読んでくれたファンと共に願うばかりだ。

 

 

 

 

2016年、晩秋。新宿のうるさい居酒屋にて。

 

 

 

Text by 大塚茂之(BRAVE SONG/ カフェソードフィッシュ)

 

※歌詞に関しては作者に許可を得て特別に掲載しております。

 転載・無断使用はご遠慮ください。

 

 

 

古明地洋哉さんの新作は、ソードフィッシュONLINE STORE にてお取り扱い予定です。

 

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