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詩人・桜井哲夫さん死去

以前、このジャーナルで紹介させていただいた、詩人・桜井哲夫(本名・長峰利造)さんが、28日、肺炎のため亡くなられました。


そのやさしい人柄と、すばらしい作品によって、たくさんの人に愛された桜井さん。
いまはただ安らかに。


今年の初夏に行なったイベントにおける、桜井さんついての、私の朗読を再録いたします。
拙すぎる私の朗読ですが、彼の作品を手にするきっかけとなれば幸いです。


 美しい人・朗読(2011.05.08 HOUSE OF FER TRAVAIL にて)

 
大塚茂之
| 詩人 桜井哲夫 | 01:16 | - | - | pookmark |
美しい人



 

桜井哲夫詩集 (新・日本現代詩文庫)
土曜美術社出版販売

 

 

 

 

 

詩人・桜井哲夫。彼の詩は文字を持たない。
病いにより視力と指を失った彼は、自分の頭の中にある言葉を文字として書き記すことができないのである。
 

 


ゆえに彼の詩作は完成に至るまでのメモもなく、週に一度と決められたボランティアの代筆者が来るまでのあいだ、頭の中に想像のノートを広げ、そこに記憶を焼き付けながら推敲を重ねるという手法をとる。いや、とらざるをえなかったのだ。
 

 


彼がその病気で失ったものは、目や指、鼻や唇、声帯や皮膚などの身体の器官だけではない。無知と誤解による差別的な法律・因習により、彼は生まれ育った故郷を失い、愛する我が子を生み育てる喜びを失い、ひとりの人間として生きるための名前すら失った。
その病いの名はハンセン病。いわゆる「らい」である。
 

 


本来なら「失った」ではなく「奪われた」という言葉がふさわしいほどの壮絶な人生を送ったであろう彼の詩は、しかし運命に向けた呪詛もなければ、誰かに対する責めの言葉もない。

 

 


そこに描かれているのは、人間の絶望や死をすべて受け入れた上で見つめる、過去や現在の日常のひとこまであり、不自由さを共有する友人たちとのペーソス漂うエピソードであり、自分の想像の中に広がる、光あふれるこの世界への賛歌である。
 

 


彼はその病いを友と呼び、指のない手を合わせる。
強風に身を晒しながら力強く根をはりて大地に咲く、一輪の小さな花の如く。
その境地へ辿り着くまでの厳冬の時代を想像するにつけ、それは何と凛々しく美しい姿であろうか。
 

 


「らいになってよかった。こんなに素敵な出会いがあるのだから」
 

 


詩人・桜井哲夫の詩は、この世で与えられる喜び、苦しみ、そのすべてへの感謝をうたい上げながら、それ自体が世界に恩恵をもたらす光となったのである。
 




1996年4月、らい予防法廃止。国は約90年に渡る「隔離・断種」という政策が誤りであったことを認めた。
2001年6月には、ハンセン病国家賠償訴訟で国が控訴を断念。
17歳で遠く草津の療養所へ入居してから60年。あまりにも長い月日を経て青森の生家へ里帰りを果たした桜井(本名 長峰利造)氏は、葬儀にすら行くことを許されなかった両親と兄の遺影の前に涙を浮かべて座し、長きに渡る己の不在を詫びた。
 

 

 

 

 

(追記)

 

桜井さんは、2011年12月28日に永眠なさいました。



執筆にあたって、下記の本を参考にいたしました。

 『しがまっこ溶けた 詩人 桜井哲夫との歳月』金 正美 著 NHK出版 刊
 
桜井さんに興味を持たれた方は、彼の詩とともに、
是非手に取ってみてください。

 

 

 


 

| 詩人 桜井哲夫 | 04:40 | - | - | pookmark |
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