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浴槽

 

 

 

昨日、本を読んだの。

女は、くわえ煙草でそう言った。

 

 

 

 

本の中で男が言うの。

この世のすべては実体のないもの、

イリュージョンなんだって。

 

 

 

 

パイプ仕立てのベッドの上、

壁を背にしてヒザを抱えている彼女の足元には、

白い陶器の灰皿があり、それは底が見えないほどの吸い殻で満たされている。

 

 

 

 

女は、火を点けて間もない長い煙草を揉み消し、

すぐにまた新しい煙草に火を点ける。

 

 

 

 

傍らのストーブには、かけられてすぐの薬缶がある。

フタの下の水面は穏やかで、まだ、わずかほどの泡立ちもない。

 

 

 

 

彼女は宙を見つめたまま、無表情で話し続ける。

 

 

 

 

貴方というイメージは、貴方が望んだ形で現れ、

私と言うイメージは、私の望んだ形で現れる。

 

 

 

 

今まで起こったことのすべては、良い結果であれ、悪い結果であれ、

貴方や私自身の、そのイメージによって生み出されたものなんだって。

 

 

 

 

だとしたら、私たちって相当、

ネガティブだわ。

 

 

 

 

女は笑う。

 

 

 

 

 

薬缶の口からかすかな煙が立ち昇る。フタの内側は徐々に水滴がつき始める。

 

 

 

 

こうやって話しているこの会話も本当は、

どこかの誰かのイメージの中なのかも知れないわね。

 

 

 

 

いっそ、そうだといいのだけど。

 

 

 

 

 

女は黙る。煙草を消す。そして、また火を点ける。

 

 

 

 

 

漂う紫煙。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女が何かに気づく。

 

 

 

 

時計を見ると、針が5を指している。

 

 

 

 

貴方、もう時間— 

 

 

 

 

女は振り向く。

しかし、そこに、語りかけていたはずの体温はない。

さっき彼女自身が締めたドアだけが、そこにある。

 

 

 

 

女はうつむく。

 

 

 

 

薬缶がごぼごぼと激しい音を立てている。

フタを押し上げ、隙間から噴きこぼれた蒸気が、一瞬にして天に還っていく。

 

 

 

 

煙草を消す。

 

 

 

 

ベッドから立つ。こぼれる灰。汚れるシーツ。

 

 

 

 

ストーブから薬缶を降ろす。音が止む。

 

 

 

 

窓に近づく。

水滴で張り付いたカーテンを開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外は、湖。

輪郭も色彩もあいまいな風景。

 

 

 

 

彼女の視線の先、遥か向こうの穏やかな水面に、

何かが引っかかったように浮き沈みしている。

不自然で、小さな黒い影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

閉じられたカーテン。

ベッドでヒザを抱える女。

 

 

 

 

壁の向こうから、

かすかに、浴槽に水が張られる音が聞こえる。

 

 

 

 

女はライターを探し、煙草をくわえ、火を点けようとして、

 

 

 

 

 

やめた。

 

 

 

 

 

 

 

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