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我らをゆるしたまえ -Forgive Us-

 

 

 


(1)

 

その日は土曜日だったが、マキシンはこれがニックと過ごす最後の週末になるだろうと思っていた。
二人ともこれからのことを思うと気が滅入るのだが、やけっぱちになっているニックと違い、どちらかというと楽観主義であるマキシンは、差し当たってこの後どうしようかと考えを巡らせていた。

 

 


「そうだわ、ニック。天気もいいことだし、車を借りて海まで行ってみない? ほら、今年になってまだ行ってなかったでしょう?」
マキシンがキッチンから声をかけたとき、ニックは洗面台で手を洗っていた。皮膚が赤みを帯びるまで、何度も何度も石けんでこすっていた。
「なに言ってるんだよ。今、そんな場合じゃないだろ」

「だって、どっちにしろ、もうここにはいられないじゃない。どうせだったら気分がいいところへ行きたいわ。そうだ、ロード・アイランドはどう? 毎年、ニューポートでジャズ・フェスティバルをやってるはずよ。今年はサッチモが出るとかラジオで言ってたわ」
「サッチモ? ルイ・アームストロング?」
洗面所からニックが顔をのぞかせた。

 

 


「そう、ルイ・アームストロング。好きでしょ、ニック」
「好きだね」
タオルで手を拭きながら、ニックがキッチンに来た。
「観たいでしょ」
「観たい」
「決まりね」
マキシンが笑った。ニックも笑った。

 

 


「じゃあ、俺はおばさんにフォードのカギを借りてくるから、持っていく着替えを二階のクローゼットでみつくろっておいてくれよ」
「フォードじゃなくて、キャディにしなさいよ。あのお尻の大きな黄色のキャデラック、すてきだわ」
「おいおい、貸してくれないよ。おじさんが新車で買ったばかりなんだぜ。まあ、訊くだけ訊いてみるか。そうだ。よかったらついでに旅行用のトランクをひとつ出しといてくれ」

 

 


玄関の扉が閉まる音がすると、マキシンはテーブルに置いてあったタバコを口にくわえた。

マッチを擦って火を点けようとしたが、手が震えていてうまく点けられなかった。
着替えと、トランク。

そうね、トランクは確かに必要だわ。
マキシンは階段をのぼって寝室に入り、クローゼットの扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

(2)

 

二人はキャデラックの屋根をオープンにして、島へ向かう海上道路を走った。

空の青と、海の蒼の境目。走る風が照りつける太陽の熱を心地よく冷ましてくれた。
白地に赤いドット柄のワンピースを着たマキシンが、助手席で帽子のつばを押さえながら言った。
「ニック、ソーダがあるわよ。飲む?」
スポーツシャツの袖をまくり上げ、深いグリーンのサングラスをかけたニック。
「いや、ビールがいいな。開けてくれるかい?」
ニックがラジオのつまみを回すと、陽気なブラスのフレーズが流れ出した。ペレス・プラード楽団の最新ヒット「パトリシア」だ。
「見て、吊り橋よ。あんなところを通るのね。船が下をくぐっていくわ。すごい」

 

 


海上道路の終わりが近づき、港が見えてきた。ひしめくようにヨットが並び、その白い帆が心躍る夏の日差しを反射させていた。
「ほら、あそこの船から子供が手を振ってるわ。なんてかわいい坊やなの」
ボードに書かれたウェルカムという文字を横目に、トールロードを抜けて上陸、幹線に合流し、いかにもリゾート地らしい豪邸が建ち並ぶ大通りをぬけて、さっき海から見たハーバーを目指す。
「見て、あの標識。フェアウェル・ストリートですって。おっかしいわ! 今、来たばかりなのに “さよなら” だなんてね」

 

 


風にゆれるヨットたちを見つけ、ハーバーを利用する客用の駐車場に、黄色いキャデラックを停めた。
ニックが車から身を乗り出し、ヨットからロープを下ろしている頭髪の薄い男にむかって声をかけた。
「やあ。いい天気だね」

 

 


声に気がついた男が顔をあげて応える。真っ赤に焼けた頭皮の上で、わずかに残った白い髪がゆれた。
「まったくだ。ヨット日和とは、こういう日のことをいうのだな。何か用かね?」
「今、着いたばかりなんだ。いいホテルを知らないか? フェスティバルの会場に近いといいんだが」
「ふむ、会場はベルコート・キャッスルってところなんだが、ここを引き返して右へ曲がると、ベルヴィル・ストリートへ出るから、そこを道なりに行けばすぐ見つかる。ただ、会場の近くはどこも多いだろうから、逆に、会場とは反対方向の宿を探したほうがいいだろうな。まあ、もっと詳しく教えてやれたらいいんだが、私たちはあいにくホテルではなくて、サマーハウスで過ごしているものでね」
「こりゃどうも、ご親切に」
それを聞き終わるか終わらないかのうちに、ニックがまたエンジンをかけた。
マキシンが口をはさんだ。
「お礼にあなた、ソーダなんていかが?」
「結構だ。ありがとう。よい一日を」

 

 


ハーバーの男の言ったとおり、会場付近の宿は満室を理由に断られた。知らない道を車でうろつき回り、古ぼけた小さな宿にやっとチェックインできた。

隣接のレストランでの遅い昼食をとり、デザートのライチ・シャーベットですっかり上機嫌になった二人。
それから腹ごなしに通りを探索した。ビーチは思ったより遠かったので、海が見える前に引き返した。

 

 

 

部屋に戻った二人は抱き合ってセックスをした。
バスルームから出てきたばかりの頬を赤くしたマキシンが、そろそろ会場へ行こうと誘ったが、ベッドの上のニックは運転で疲れたと言い、そう言えば二人とも前日は一睡もしていなかったので、そのまま夕方までひと眠りすることになった。
「急ぐことはないよ。サッチモの出番はもっと遅いはずだから」

 

 


ニックが目を覚ますと、夕方どころか、窓の外は真っ暗な闇に塗りつぶされていた。
起き抜けに、ニックがマキシンに怒鳴った。
「どうして起こさないんだ!」

 

 


濃いブルーのインナー姿でベッドに腰掛け、雑誌を眺めていたマキシンの眉が吊り上がった。
「起こしたわよ。何度も声をかけたけど起きなかったの! 悪いのは自分じゃない。どうして私が怒られるのよ!」
舌うちするニック。
「いいか。相手が起きないんだったら、起こしたとは言わない。起こす約束をしたときは、相手が起きるまで、揺すってでも、叩いてでも起こすんだ!」

 

 

 

「知らないわよ、そんなの! 私だって、ほんとは出かけたかったわよ! でも、あなたすごく疲れてるみたいだったから、がまんして寝かせておいてあげたのに! あなたの奥さんだったら、こういうときどうしてたの? やさしく起こしてくれたの? ママが子供を起こすときみたいに? さあ、ベイビー、もう朝でちゅよ。おっきしまちょうね。かわいい、かわいい、私のベイビー!」
ニックが拳を振り上げた。
マキシンは動じず、ニックを見据えた。
置き時計の針の音に混じって、雨粒が窓ガラスをなでる音が聞こえた。

ニックの腕がだらりと下がった。

うつむいた細い顔に、照明が濃いオレンジ色の影をつける。
「……あいつのことは言うな」
マキシンはベッドから飛び降りると、電気スタンドをつかんで床に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

(3)


1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバル。
夜は深まり、すでに日付は日曜に変わっていた。

会場は途中から降り出した雨のなか、興奮しきった観客たちが一心にステージを見つめていた。

 

 


出演者中、最後に登場したゴスペルの女王、マヘリア・ジャクソンは、たったのひと声を発しただけで、すべての人々の心をつかんだ。母性の固まりのようなふくよかな体で、ステップを踏み、手を打ち鳴らし、その迷いのないまっすぐな声で、神への感謝を魂のかぎり歌い上げるマヘリア。

 

 


「ゴスペルソングは希望の歌です。人はゴスペルを歌うことで、苦しみや悲しみを癒すことができるのです」

 

 


降り止まぬ雨、それにも関わらず何度も巻き起こる熱狂的なアンコールの拍手に、再三再四ステージに戻された彼女は、少女のようなはにかみで応えた。
「なんだか、スターにでもなった気分だわ」

 

 


星の瞬きのようなピアノのイントロに導かれて歌い出した祈りの歌。それはクライマックスにむけて力強さを増し、人々を未来に導く神々しい光のようだった。

 

 


 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
 我らの罪をもゆるしたまえ


 我らをこころみにあわせず
 悪より救い出したまえ


 AMEN

 

 

 

 

マキシンとニックは手をつなぎ、会場の一番後ろでその光景を見ていた。

まるで乗り遅れた船の出航を見送るように、二人はそれが見えなくなるまで、ずっとそこで立ちすくんでいた。

 

 

 


会場からホテルに戻ったマキシンとニックは、濡れた服を脱ぎ、バスタオルをかぶって、ベッドの縁に並んで腰掛けていた。
マキシンが口を開いた。
「彼女の歌、すばらしかったわね」
「ああ」
「私たちも、ゆるされると思う?」
「…それは」

 

 


二人の目が同じものを見ていた。

ベッドの脇に置かれている、ずっしりと重い革のトランク。人ひとりがはいるほどの大型サイズ。

ヒザを抱えた恰好で冷たくなっている、見えないはずの中身が、二人にはまるで見えているかのようだった。

 

 

 

マキシンが笑った。
「サッチモ、見られなかったわね」

ニックは、マキシンの冷たい肩を抱き寄せた。

 

 

 

 

 

(4)


朝が来た。
ホテルの駐車場で、制服を着た二人の男が黄色いキャデラックを覗き込んでいた。彼らはうなずくと、フロントに廻って支配人を呼んだ。
部屋のドアがノックされた。中からの応えはなかった。

支配人が合鍵を使ってドアを開けた。

 

 


セミが鳴いていた。

朝とはいえ、窓から差し込む光はもう、強い夏の日差しだったのだ。

 

 

 

 

 

 

Thanks For Inspiration, MAHALIA JACKSON
『NEW PORT 1958』(1986)
映画「JAZZ ON A SUMMER'S DAY  (邦題 真夏の夜のジャズ)」(1960)

 

 

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