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対談 浅田弘幸×大森暁生(7)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

写真 縣 ケンジ/ AGATA Kenji ※記事中、表記のないものすべて

 

 

 

 

 

 

 

トークの前半と後半に挟まれた休憩時間には、お二人の仕事場を垣間見られるブースの展示が盛況でした。

 


大森さんが実際に仕事をされる上での定位置である「叩き台」と呼ばれるスペースには愛用の鑿(のみ)などの使い込まれた道具や作品の設計図が無造作に置かれ、普段なかなか見ることができない観覧者の興味を引いていました。
壁にかけられた熊とでも戦えそうな大鋸(おが ※丸太から板材を挽くための大きな鋸)や、廃材を利用する薪ストーブなども、木という素材を扱うことのダイナミックさを感じられたのではないかと思います。

 

 

浅田さんの仕事用デスクを再現したブースでは、画材だけなく愛用の小物なども置かれ、何気なく開かれていたノートが次回作用のラフだったりするという、さすがのホスピタリティ。
さらにはご本人のつけペンにインクをつけて実際に原稿用紙に描いてみようという神企画に周囲は一時騒然となりましたが、それを聞いた大森さんの「じゃあ、うちのチェーンソーとか使いますか?」の発言には爆笑が。

 


ちなみに休憩中のBGMは、当サイトの名前の由来のひとつになったトム・ウェイツの『ソードフィッシュ・トロンボーン』というアルバム。
どの場面で何の音楽をかけるか、当日までいろいろと考えていましたが、多分誰も聴いていなかったと思います(笑)
盛りだくさんで、それどころじゃなかったですもんね。

 

 

さて、ここからトークの後半ということになりますが、その前に、観覧席に資料を回覧しました。

浅田さんご本人がこの日のためにセレクトした最新の原画やラフ画が入ったファイルブック。
大森さんの作品集『月痕』。

同じくフォトエッセイ集『PLEASE DO DISTURB』。
そして、こんな機会はまずないと思われますが、大森さんの実際の作品を手渡しで観覧席へ。

 

 

 

 

 

 

両手に乗るくらいのサイズのウサギは木彫を原型としたブロンズ製。ずっしりとした重さと一緒に、そのノミ跡や質感を感じていただけたことでしょう。

 

 

 

 

大森暁生さんの書籍はこちらから。

 

 

 

 

 

 


第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派


 

 

 

 

【司会】
(観覧席に本を渡しながら)
大森さんのこのエッセイ集『PLEASE DO DISTURB』なんですが、帯に「彫刻家なんかで喰っていけんのかよ?」って書いてあります。

 

 

 

 

 

【大森】
そう、まさにね。これは何かのインタビューの中の言葉をこの本の編集者が抜粋したもので、まさか帯に使われるとは思ってなかったです。
実は自分に対して言われた言葉なんですけど、これだと僕が美術業界にケンカ売ってるみたいですよね(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
大森さんは彫刻家なんですが、多才で、書かれる文章も大変おもしろい。先ほどの「喰っていけんのかよ」という問いの答えは、是非この本を読んで確かめていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 


(映画『イル・ポスティーノ』のテーマ曲が流れる)

 

 

 

 


【司会】
では、後半のトークを始めさせていただきます。

お二人は今、漫画家さん、そして彫刻家さんとして生きていらっしゃるんですが、
まず浅田さんにお訊きします。漫画家になろうと思われたのはいつですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
うーん……幼稚園、かな。

 

 

 

 

 

【客席】

おおー。

 

 

 

 

 

【浅田】
僕が育ったのはかなり特殊な環境で、それまであまり褒められるってこともなかったんですけども、
幼稚園の先生に絵をすごく褒められたんです。
多分それがきっかけだと思います。

 

 

 

 

 

【司会】
絵ということでしたら、他に画家という道などもあるわけですが、そこから漫画家になりたいと思うまでに、他に何か出来事があったんでしょうか?

 

 

 

 


【浅田】
当時、本屋さんて立ち読みできたじゃないですか。だから子どもの頃、毎日チャリで本屋さんに通って、もう片っ端から漫画を読んでました。漫画が自分の中で一番正しいものだったというか。

でも、その当時の大人たちって「また漫画を読んでるのか!」みたいなことを、ものすごく言いましたよね。

 

 

 

 

 

【司会】
あー、言われましたね。

 

 

 

 


【浅田】
たまにしか会わない親戚のおじさんとかにまで言われる(笑)

そんな中で、小学校3年生ぐらいに『まんが道』を読んだんです。
僕はこの作品がバイブルだってよく言うんですけど、本当に志が純粋で美しい漫画で、今でも大好きなんです。

 

 

 

 

 

(筆者・追記)
『まんが道』

藤子不二雄Ⓐ氏の自伝的青春漫画。二人の少年が漫画家を目指す物語。

 

 

 

 


【浅田】
作中で、主人公の二人が高校を卒業する頃に、手塚治虫先生のところに行くエピソードがあって。
当時っていうのは漫画家宛にファンレターを出すと作者に直で届くっていう素敵な時代で、二人が手塚先生に出したファンレターに、手塚先生本人も返事をくれるわけです。
そこで一大決心して手塚先生に訪問したいと手紙を出し、承諾されるんです。

そうして二人は夜汽車に乗って、富山から手塚先生の住む宝塚へ行くんですね。
で、先生のお家に行って、ご本人が出て来るんですけど、
「やあ」って出て来た手塚先生のバックに描かれてるのがね、宇宙なんです。

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 


【司会】
そこに宇宙があるという、すごい表現ですね。

 

 

 

 


【浅田】
全てがある、っていうね(笑)

先生は忙しいんで、ちょっと待っててと言って仕事を始めるんですけど、別の部屋で待たされている間に、先生が編集者に「あれ見せてあげて」って言って、二人に生原稿が渡されるんです。
それが『来たるべき世界』という漫画の原稿なんですけど、そこで「あれっ」てなるんです。
『来たるべき世界』は二人も読んだことがあって本来400ページの作品なのに、その渡されたものは1000ページあるんですよ。
編集者が言うには「あれは本当は1000ページあるのを400ページに凝縮させたものなんだよ」と。

 


プロの、売れっ子の、天才と言われている漫画家が、600ページを捨てるほどの覚悟で作品に取り組んでいると。
それに衝撃を受けた主人公二人が執筆中の手塚先生をハッと見るんです。
その後ろ姿、集中して原稿に向う姿が、めちゃめちゃかっこいい「ヒーロー」なんですよ。

 


二人は言うんですね。「来たかいがありました。僕たち最終の列車で帰ります」って。
せっかく遠くから来て、ろくに話してもいないのに、
「もう充分です。一刻も早く帰って漫画が描きたくなりました」と。
そんな二人の純粋さも、本当に清々しくてしびれました。

 


小さい頃から「漫画ってくだらない」って大人に言われて、学校の先生からも言われるわけじゃないですか。「漫画ばっか描いて」みたいな。
それが「漫画ってかっこいい!」って。こんなに凄い「誇っていいものじゃないか!」って思って。

 


僕、ネーム(実際に原稿にする前に、コマを割ってセリフを書き込んだコンテ)って、実際のページ数の3倍ぐらいの量を描くんですよ。
30ページの作品だったら、100ページぐらいのネームを描いた中でブラッシュアップしていく。
今でもそういうやり方が正しいと信じてるのは、さっきのエピソードが強烈に染み込んでいるからなんです。

漫画と向き合う姿勢というか、「志」の持ち方というか。あの藤子不二雄が憧れた過去の手塚作品っていうのも僕は『まんが道』で知りましたし、ここが漫画家としての自分の原点なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 


□ □ □ □ □ □

 

 

【司会】
大森さんはいつ彫刻家になろうと思ったんですか?

 

 

 

 

 

【大森】
僕、クラスにひとりはいる、図画工作だけ成績が良くてあとはダメっていう典型的なタイプだったんですけど。

 


母親の話だと、小さい頃も油粘土をひとつ持たせておくと、あとは静かーに、作っては壊して、作っては壊してしてたから手間がかからなかったとかって言われて。覚えてないんですけど、そういうのはもともと好きだったんでしょうね。

 


幼稚園の時ですけど、昔ありましたよね、紙コップを逆さにして、くちばしつけて、糸巻きを中に入れてゴムでカタカタカタって動くペンギンの工作。あれを幼稚園でみんなで作った時に、くちばしを後からつけるのに山折と谷折りを駆使して作るんですが、それが理解できなくて結局作れなかったんですね。家に帰って、寝る時にそれを思い出して、布団かぶってくやし泣きをしました(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 


【大森】
勉強が出来なくても別に悔しくはないんですけど、そのことに関してはプライドが許さなかったらしくて(笑)
母親がびっくりしてました。
だから、単に作ることが好きっていうより、そこに何かあったんだなって思います。

 


小学校でも中学校でも、美術、技術、そう言った時間だけ大好きで。
大学に上がる時に、まあ付属の高校だったんで、本当はそのままスライドで上の大学に行けるはずだったんですけど、あまりにも勉強ができなくて上がれずに(笑)
浪人することになっちゃった。

 


それで、今後の相談ということで担任の先生から将来何やりたいんだって訊かれた時に答えたのが、さっき言った警察の鑑識の仕事でした。

当時、藤田まことさん主演の『はぐれ刑事 純情派』ってドラマが大好きでですね。
高校の時には、下敷きの中にそのチラシを入れていたっていう。

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
ねえ、下敷きに入れましたよね、そういうの。

 

 

 

 


【司会】
入れました。入れましたけど、『はぐれ刑事 純情派』は入れないですね(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
藤田まことさんもかっこよかったんですけど、たまに出てくる白衣を着た鑑識の人がかっこよかったんですよ。その職人的な感じが。

 

 

下町の檜オケを作る職人さんとか、そういう職人さん特集をテレビで観たりするのは大好きなんですけど、これは語弊があるかもしれないんですが、当時はそういう伝統をコツコツ、脈々と受け継いでいく職人さんというより、現代に直結したエキスパートという意味での職人さんに憧れていて。なぜかその向かう先が検死を行う鑑識官だったんですね。

でまあ、そこで骸骨が出てくるんですけど。

 


今はもしかしたら、3Dの何かでやるのかもしれないですが、当時『死体は語る』っていう鑑識の有名な本があって、えらい影響を受けたりして、鑑識官ってなんてかっこいいんだって。

 

 

 

 

 


(筆者・追記)
『死体は語る』上野正彦・著
監察医としての30年を超える経験に基づいて記されたノンフィクション。
検死・解剖を通じて解き明かされる真実の重要性を説いた法医学入門の書。

 

 

 

 


【大森】
それで担任の先生に鑑識の仕事がしたいですって言ったんです。
担任は体育の先生で、生活指導を担当していることもあって地元の警察と色々仲が良くて(笑)
その方面から調べてもらったら、まず美術大学を出なきゃダメだっていうことがわかってですね。
それまで、世の中に美術学校って、あるらしいことは知っていたんですけど、世間知らずで、どうやって入っていいかもわからなくて。調べていくうちに、まずは美術予備校っていうところで勉強しなきゃいけないということがわかって、そこにイヤイヤ行ったわけです(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
イヤイヤ(笑)

 

 

 

 

【大森】
その予備校が、門の外で揮発性の液体が入った缶を一日中しゃぶってるやつとかいてですね(笑)
なんて荒んでいて、やなところなんだって思って。
一刻も早くここを出たいと思いながら、そこで2年浪人することになりまして(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

ええー(笑)


 

 

 

 

【大森】
(笑)そこから愛知県立芸術大学ってところに入ったんです。
でも、浪人中も大学に行ってる間も、本当に美術の展覧会とか興味なかったんですね。自分の目的は鑑識官になることだったので。

 


で、その学校が周りに何もないところで、あまりにも春休みとか暇だったので、作品を作って公募展みたいなのに出したんです。それは出品料の5000円くらいを出せば、誰のでも並べてくれるんですけど。
そこに自分が作ったものを並べていたら、いろんなことを言われるわけです。あーだの、こーだの、お偉いさんみたいな人たちから(笑)
だけど、それに関して腹立つとか、嬉しいとかということはなくて、自分が作ったものに人が興味を持つってことが自体が面白くて、こんなことってあるんだ、って思ったんですね。その時点ではまだ鑑識官になるつもりだったんですけど、今考えると、後々作品を作っていくにあたっての、きっかけの一つになった出来事かもしれません。

 


それから先ほど前半でお話しした話に繋がるんですけど、籔内 佐斗司先生のところにお世話になることになって、所謂、本当に腕一本で食ってる、美術大学の中では見たことがない「作家」という姿を見ていたら、それが強烈にかっこよくて。
かと言って、じゃあ、今日から俺は彫刻家だって決心した記憶はないんですけど、そこでアシスタントをさせていただいてるうちに、気がついたら作家になろうと思っていたって感じですね。

 

 

 

 

 

 

【司会】
不思議ですね。鑑識から彫刻家にって、もともと描いていた道とは違う道を歩いている。でも、それが大森さんにとって悪い結果ではないんですよね。

 

 

 

 

 

【大森】
うん。そうですし、前の夢をどっかで諦めた、捨てたって思いもなくて。
自然とそうなっていたんです。

 

 

 

 

 

 


□ □ □ □ □ □

 


【浅田】
芸術大学って、目的が同じ人たちが集まっているわけだし、影響しあって何かやるってことはなかったんですか?

 

 

 

 


【大森】
たまたま僕がいた環境のせいだったのかもしれないですけど、なかったですね。
学校の中には、色々部活をやったりとか、飲み会をやったりとか、そういう一般的な大学生活を楽しみたいタイプと、一日中部屋に篭って出て来ない研究者みたいなタイプがいて。自分はどっちかといえば、後者のタイプでしたけど、その中で自分のオリジナル性をどうこうとか、自分の表現をどうこうよりも、大学ほど整った設備っていうのは、持とうったって一生持てないので、そこは割り切って技術訓練校だと思ってやってましたね。

 

 

 

 


【司会】
浅田さんの方は、先ほどの『まんが道』に出会って、そのままこう、漫画家になられたという感じですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
そうですね。でも、まあ、それは子供の時ですから、そのあとサッカー選手や野球選手に憧れたことはありましたけど。
あと僕はプロレス大好きで、一時期プロレスラーになるぞって思ってました(笑)
新日本プロレス入るぞって(笑)

 

 

 

 


【大森】
僕、家でずっとタイガーマスクかぶってました。

 

 

 

 


【客席】
(爆笑)

 

 

 

 


【司会】
大森さん、ちょいちょい、なんか放り込んできますね(笑)

 

 

 

 


【浅田】
自分で作ったやつですか?

 

 

 

 


【大森】
いえ、近所のおもちゃ屋で買ったチャチなやつです。
家に帰ると、まずそれをかぶって。

 

 

 

 

 

【客席】
(笑)

 

 

 

 


【浅田】
そうなんですね。
大森さん、年齢的に(タイガーマスク)世代ですよね。

 

 

 

 


【大森】
そうですね。

 

 

 

 


【司会】
私はそんなに詳しくないんですが、
新日派、全日派ってありましたよね?

 

 

 

 

 

(筆者・追記)
アントニオ猪木が旗揚げし、ストロングスタイルを掲げた新日本プロレス。
もう一方が、アメリカンプロレスを源流とし、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレス。
当時はその2大団体が隆盛だった。

 

 

 

 

 

【浅田】
僕は新日派。

 

 

 

 


【司会】
大森さんは?

 

 

 

 


【大森】
僕はタイガーマスクオンリーだったんです。タイガーマスクに憧れて。

 

 

 

 


【浅田】
ああー、結構にわかですね。

 

 

 

 


【客席】
(爆笑)

 

 

 

 

 

【大森】
(笑)最近は佐山聡さん(初代タイガーマスクの正体)の動画をYOU TUBEで見漁ってます。

 

 

 

 


【司会】
(笑)一貫してますね。

 

 

 

 

 

【客席】
(笑)

 

 

 

 


【浅田】
今もマスクを被ってるんじゃ(笑)

 

 

 

 


【大森】
(笑)浅田さんがプロレスラーになりたかったのは意外ですねえ。

 

 

 

 


【浅田】
なりたかったですねえ。
でも、あんまり大きくなれなかったし。まあ、実際になるための努力もできなかったんだと思うんですけど。

やっぱり漫画を描くのが大好きで、それはもう努力じゃないですもんね。好きなことをただ夢中でやってるっていう。
大森さんがずっと粘土を作ってたっていうのとおんなじ。うん。

 

 

あと他の職業って、何をどうしたら何になれるのか、それが見えにくかったんですよね。
映画が面白いから映画監督になりたい、でも、どうやったなれるのか、なり方がわかんない。
漫画はね、何ページ描いて、この雑誌に送ってって、それがはっきり見えてたんで。

 

 

 

 

 

【大森】
そういう情報は自然と目の前にあるようで、自分が本気だと、ちゃんと調べてるのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

【浅田】
うん、そうですね。
そうなるために必要なことを、実は追求してるんでしょうね。

 

 

 

 

 

続く。

 

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生×Cafe Swordfish

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延長後のオーダー締切は

6月25日(日)夜10時まで

とさせていただきます。

よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

https://twitter.com/asadercover

 

 

 

                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

akioohmori.com

 

 

 

      

                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

カフェソードフィッシュ / Cafe Swordfish
とある街の5街建てビルの屋上にあるという架空のカフェ、ソードフィッシュ。
その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

cafeswordfish.com

 

 

 

| 対談 浅田弘幸×大森暁生 | 11:52 | - | - | pookmark |