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対談 浅田弘幸×大森暁生(8)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

写真 縣 ケンジ/ AGATA Kenji ※記事中、表記のないものすべて

 

 

 

 

 

 

幼い頃からの夢を叶えて漫画家になった浅田さん。
彫刻家になる前は全く別の職業を目指していた大森さん。
前回は歩んでこられた道の大きな違いを伺うことができました。

 

 

ここで、大森さんを今に導いた、大事な出会いのエピソードをもう一つ。

 

 

 

 


第8回 上村一夫さん

 

 

 

 


【司会】
今日は浅田さんがゲストということで、もう少し漫画に関連したことを伺いたいと思います。
先ほどのアパレルとのコラボレーションの話がありましたが、もともと大森さんが一番最初に異ジャンルの方との交流を持たれたのは、漫画家さんなんですよね?

 

 

 

 


【大森】
そうなんです。漫画家さんというか、本当は劇画家さんとお呼びした方がいいんですが、上村一夫さんという方がいまして。
本来の読者層は僕よりもっと上の世代だと思うんですが、
『同棲時代』とか『修羅雪姫』(※原作・小池一夫氏。クエンティン・タランティーノ監督がそのオマージュとして映画『キル・ビル』を作ったことで、世界的に知られるようになった作品)などを描かれた後、若くして亡くなられた方なんです。

 


その上村さんの『凍鶴』という作品がありまして。
近所の本屋さんでたまたまその背表紙だけ見えたんですね。
凍る鶴と書いて「いてづる」というのがやけに目にとまりまして。
僕、言葉から作品を作ることが多いんですけど、その言葉が目に飛び込んできて、手にとったのが最初ですね。

 


読んでみましたら、東京で、ある女の子が仕込みっ子という修行時代を経まして、一本芸者になっていく、そういうストーリーなんですけど、自分がその当時創っていた女性像ととても近い切り口で女性を描く漫画家さんが遥か以前にいらしたということに嫉妬というよりも嬉しさを感じまして。でも、作者の上村さんはもうその時点で亡くなられていたんです。

 


そこで、是非、上村さんの作品に対するオマージュ展をやりたいと思いまして、上村一夫さんの『凍鶴』から影響を受けて創った作品と共に『凍鶴』の原画をお借りしてそれを一緒に展示するという個展をやらせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

(大森さんのオフィシャルサイトへのリンク)

 

 

 

翼霊 ー凍鶴ー

 


ー月の風

 


月光の風



六月の風 ー凍鶴ー

 


水鏡の風 ー凍鶴ー
 

 

 

 

 

 

【大森】
その時に、ご本人はいらっしゃらないということで、著作権者の奥様とお嬢さんのところにご挨拶に行きました。

 


で、展覧会が終わった後に、ご本人にお礼が言いたいと伝えましたところ、お嬢さんにお墓参りに連れて行っていただいくことになって。
行き帰りの車の中で、将来こんなことがやりたいんだ、あんなことがやりたいんだと、思いの丈を色々話していたら、それを覚えていてくださって。

 


その上村さんのお嬢さんが、たまたま、先ほどの照井さんのブランド、ケルト&コブラで働かれていたんです。

 

 

 

 

 

【客席】
おおー!

 

 

 

 


【浅田】
……つながりますねえ。

 

 

 

 


【大森】
それで後に、先ほどの『火の頭蓋』のお話をくださったと。

この件がそれからの他ジャンルの方とのお仕事のきっかけになりましたけど、自分からいろんなところにファイルを持って売り込みに行った結果とかではないんですよね。

やはりこれも自分にとって自然なつながりだったんじゃないかと思っています。

 


 

 

 

 

 

大森暁生コラム「PLEASE DO DISTURB」

2008.03.17「上村一夫さん」全文

 

 

 

 

 

 

 


□ □ □ □ □ □

 

 

【司会】
私事で恐縮なんですけど、私は自分がなりたいと思った職業になれていない人間なんですね。
その立場の人間から伺いたいのは、その職業に就くまでに、途中で諦めようとか、もうやめようとか思ったことはなかったですか?

浅田さん。

 

 

 

 


【浅田】
それは、ない、ですね。

今だとネットとか色々な発信方法があると思うんですけど、僕の当時は限られた雑誌しかなくて、漫画家なんて夢っていう時代だったんですよ。なれない人がたくさんいて、連載出来るなんて奇跡みたいな。
周りはね「またそんな夢みたいなことを」っていうんですけど、僕自身は絶対デビューして漫画家になると思ってました。ですから新人の時、どんなに編集さんにボロクソ言われても、諦めるとか、捨てるとかは考えられませんでしたね。とにかく「上手くなりたい」っていう気持ちの方が強かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【大森】
僕は、やめたいっていうことに関していうと(この職業をやっている現在)割とちょくちょく思う(笑)
思うんですけど、じゃあ他のことと思うとですね、すごく辛そうなんですよね、他のことやっている自分を想像すると。それをするぐらいだったら、今やっていることをやろうと。

 


あんまり世の中と接点を持っていない若い頃っていうのは(作品を)作っている時間がほとんどで、作ってさえいれば満足なんです。
それがだんだん仕事として成立してきて、世の中との接点ができてくると、さっきも話しましたけど、あんまり乗り気じゃない仕事をどう乗り気にしていこうかとか、変なジレンマが生まれたりする。本質的には作っていれば満足なのに、それだけでは仕事として成立しないっていう。

 

 

 

 

 

【司会】
例えば他の作家さんだと、その作るところだけに没頭して、世の中との接点は誰かに任せるという判断をする方もいらっしゃると思うんですけど、大森さんはそうじゃなくて、世の中との関わり方もご自分で切り開いて活動されているわけで。でも本当は作るところだけに没頭したいって気持ちもあるっていう。

 

 

 

 

 

【大森】
ものすごいプロデューサーがいたら本当全部お願いしたいくらいなんですけど、そういう人とはそうそう会えるもんじゃないし、自分の相性の問題としては、今のところまだ会ってない…かなあ。
もちろん相性のいい画廊さんとは今もお仕事させてもらってるんですが、ただ、自分の全部を任せるっていうことは、それが誰であっても無理なんじゃないですかね。

 

 

 

 


【司会】
だったら自分でと。

 

 

 

 

 

【大森】
そうですね。それで自分では手がまわらないところをお手伝いいただくとか、助けてもらうっていう関わり方が、自分ではいいのかなと思いますね。

 

 

 

 

続く。

 

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生×Cafe Swordfish

スペシャルコラボアイテムのご注文はこちら

 

延長後のオーダー締切は

6月25日(日)夜10時まで

とさせていただきます。

よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

https://twitter.com/asadercover

 

 

 

                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

akioohmori.com

 

 

 

      

                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

カフェソードフィッシュ / Cafe Swordfish
とある街の5街建てビルの屋上にあるという架空のカフェ、ソードフィッシュ。
その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

cafeswordfish.com

 

 

 

 

 

| 対談 浅田弘幸×大森暁生 | 13:36 | - | - | pookmark |
対談 浅田弘幸×大森暁生(7)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

写真 縣 ケンジ/ AGATA Kenji ※記事中、表記のないものすべて

 

 

 

 

 

 

 

トークの前半と後半に挟まれた休憩時間には、お二人の仕事場を垣間見られるブースの展示が盛況でした。

 


大森さんが実際に仕事をされる上での定位置である「叩き台」と呼ばれるスペースには愛用の鑿(のみ)などの使い込まれた道具や作品の設計図が無造作に置かれ、普段なかなか見ることができない観覧者の興味を引いていました。
壁にかけられた熊とでも戦えそうな大鋸(おが ※丸太から板材を挽くための大きな鋸)や、廃材を利用する薪ストーブなども、木という素材を扱うことのダイナミックさを感じられたのではないかと思います。

 

 

浅田さんの仕事用デスクを再現したブースでは、画材だけなく愛用の小物なども置かれ、何気なく開かれていたノートが次回作用のラフだったりするという、さすがのホスピタリティ。
さらにはご本人のつけペンにインクをつけて実際に原稿用紙に描いてみようという神企画に周囲は一時騒然となりましたが、それを聞いた大森さんの「じゃあ、うちのチェーンソーとか使いますか?」の発言には爆笑が。

 


ちなみに休憩中のBGMは、当サイトの名前の由来のひとつになったトム・ウェイツの『ソードフィッシュ・トロンボーン』というアルバム。
どの場面で何の音楽をかけるか、当日までいろいろと考えていましたが、多分誰も聴いていなかったと思います(笑)
盛りだくさんで、それどころじゃなかったですもんね。

 

 

さて、ここからトークの後半ということになりますが、その前に、観覧席に資料を回覧しました。

浅田さんご本人がこの日のためにセレクトした最新の原画やラフ画が入ったファイルブック。
大森さんの作品集『月痕』。

同じくフォトエッセイ集『PLEASE DO DISTURB』。
そして、こんな機会はまずないと思われますが、大森さんの実際の作品を手渡しで観覧席へ。

 

 

 

 

 

 

両手に乗るくらいのサイズのウサギは木彫を原型としたブロンズ製。ずっしりとした重さと一緒に、そのノミ跡や質感を感じていただけたことでしょう。

 

 

 

 

大森暁生さんの書籍はこちらから。

 

 

 

 

 

 


第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派


 

 

 

 

【司会】
(観覧席に本を渡しながら)
大森さんのこのエッセイ集『PLEASE DO DISTURB』なんですが、帯に「彫刻家なんかで喰っていけんのかよ?」って書いてあります。

 

 

 

 

 

【大森】
そう、まさにね。これは何かのインタビューの中の言葉をこの本の編集者が抜粋したもので、まさか帯に使われるとは思ってなかったです。
実は自分に対して言われた言葉なんですけど、これだと僕が美術業界にケンカ売ってるみたいですよね(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
大森さんは彫刻家なんですが、多才で、書かれる文章も大変おもしろい。先ほどの「喰っていけんのかよ」という問いの答えは、是非この本を読んで確かめていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 


(映画『イル・ポスティーノ』のテーマ曲が流れる)

 

 

 

 


【司会】
では、後半のトークを始めさせていただきます。

お二人は今、漫画家さん、そして彫刻家さんとして生きていらっしゃるんですが、
まず浅田さんにお訊きします。漫画家になろうと思われたのはいつですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
うーん……幼稚園、かな。

 

 

 

 

 

【客席】

おおー。

 

 

 

 

 

【浅田】
僕が育ったのはかなり特殊な環境で、それまであまり褒められるってこともなかったんですけども、
幼稚園の先生に絵をすごく褒められたんです。
多分それがきっかけだと思います。

 

 

 

 

 

【司会】
絵ということでしたら、他に画家という道などもあるわけですが、そこから漫画家になりたいと思うまでに、他に何か出来事があったんでしょうか?

 

 

 

 


【浅田】
当時、本屋さんて立ち読みできたじゃないですか。だから子どもの頃、毎日チャリで本屋さんに通って、もう片っ端から漫画を読んでました。漫画が自分の中で一番正しいものだったというか。

でも、その当時の大人たちって「また漫画を読んでるのか!」みたいなことを、ものすごく言いましたよね。

 

 

 

 

 

【司会】
あー、言われましたね。

 

 

 

 


【浅田】
たまにしか会わない親戚のおじさんとかにまで言われる(笑)

そんな中で、小学校3年生ぐらいに『まんが道』を読んだんです。
僕はこの作品がバイブルだってよく言うんですけど、本当に志が純粋で美しい漫画で、今でも大好きなんです。

 

 

 

 

 

(筆者・追記)
『まんが道』

藤子不二雄Ⓐ氏の自伝的青春漫画。二人の少年が漫画家を目指す物語。

 

 

 

 


【浅田】
作中で、主人公の二人が高校を卒業する頃に、手塚治虫先生のところに行くエピソードがあって。
当時っていうのは漫画家宛にファンレターを出すと作者に直で届くっていう素敵な時代で、二人が手塚先生に出したファンレターに、手塚先生本人も返事をくれるわけです。
そこで一大決心して手塚先生に訪問したいと手紙を出し、承諾されるんです。

そうして二人は夜汽車に乗って、富山から手塚先生の住む宝塚へ行くんですね。
で、先生のお家に行って、ご本人が出て来るんですけど、
「やあ」って出て来た手塚先生のバックに描かれてるのがね、宇宙なんです。

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 


【司会】
そこに宇宙があるという、すごい表現ですね。

 

 

 

 


【浅田】
全てがある、っていうね(笑)

先生は忙しいんで、ちょっと待っててと言って仕事を始めるんですけど、別の部屋で待たされている間に、先生が編集者に「あれ見せてあげて」って言って、二人に生原稿が渡されるんです。
それが『来たるべき世界』という漫画の原稿なんですけど、そこで「あれっ」てなるんです。
『来たるべき世界』は二人も読んだことがあって本来400ページの作品なのに、その渡されたものは1000ページあるんですよ。
編集者が言うには「あれは本当は1000ページあるのを400ページに凝縮させたものなんだよ」と。

 


プロの、売れっ子の、天才と言われている漫画家が、600ページを捨てるほどの覚悟で作品に取り組んでいると。
それに衝撃を受けた主人公二人が執筆中の手塚先生をハッと見るんです。
その後ろ姿、集中して原稿に向う姿が、めちゃめちゃかっこいい「ヒーロー」なんですよ。

 


二人は言うんですね。「来たかいがありました。僕たち最終の列車で帰ります」って。
せっかく遠くから来て、ろくに話してもいないのに、
「もう充分です。一刻も早く帰って漫画が描きたくなりました」と。
そんな二人の純粋さも、本当に清々しくてしびれました。

 


小さい頃から「漫画ってくだらない」って大人に言われて、学校の先生からも言われるわけじゃないですか。「漫画ばっか描いて」みたいな。
それが「漫画ってかっこいい!」って。こんなに凄い「誇っていいものじゃないか!」って思って。

 


僕、ネーム(実際に原稿にする前に、コマを割ってセリフを書き込んだコンテ)って、実際のページ数の3倍ぐらいの量を描くんですよ。
30ページの作品だったら、100ページぐらいのネームを描いた中でブラッシュアップしていく。
今でもそういうやり方が正しいと信じてるのは、さっきのエピソードが強烈に染み込んでいるからなんです。

漫画と向き合う姿勢というか、「志」の持ち方というか。あの藤子不二雄が憧れた過去の手塚作品っていうのも僕は『まんが道』で知りましたし、ここが漫画家としての自分の原点なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 


□ □ □ □ □ □

 

 

【司会】
大森さんはいつ彫刻家になろうと思ったんですか?

 

 

 

 

 

【大森】
僕、クラスにひとりはいる、図画工作だけ成績が良くてあとはダメっていう典型的なタイプだったんですけど。

 


母親の話だと、小さい頃も油粘土をひとつ持たせておくと、あとは静かーに、作っては壊して、作っては壊してしてたから手間がかからなかったとかって言われて。覚えてないんですけど、そういうのはもともと好きだったんでしょうね。

 


幼稚園の時ですけど、昔ありましたよね、紙コップを逆さにして、くちばしつけて、糸巻きを中に入れてゴムでカタカタカタって動くペンギンの工作。あれを幼稚園でみんなで作った時に、くちばしを後からつけるのに山折と谷折りを駆使して作るんですが、それが理解できなくて結局作れなかったんですね。家に帰って、寝る時にそれを思い出して、布団かぶってくやし泣きをしました(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 


【大森】
勉強が出来なくても別に悔しくはないんですけど、そのことに関してはプライドが許さなかったらしくて(笑)
母親がびっくりしてました。
だから、単に作ることが好きっていうより、そこに何かあったんだなって思います。

 


小学校でも中学校でも、美術、技術、そう言った時間だけ大好きで。
大学に上がる時に、まあ付属の高校だったんで、本当はそのままスライドで上の大学に行けるはずだったんですけど、あまりにも勉強ができなくて上がれずに(笑)
浪人することになっちゃった。

 


それで、今後の相談ということで担任の先生から将来何やりたいんだって訊かれた時に答えたのが、さっき言った警察の鑑識の仕事でした。

当時、藤田まことさん主演の『はぐれ刑事 純情派』ってドラマが大好きでですね。
高校の時には、下敷きの中にそのチラシを入れていたっていう。

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
ねえ、下敷きに入れましたよね、そういうの。

 

 

 

 


【司会】
入れました。入れましたけど、『はぐれ刑事 純情派』は入れないですね(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
藤田まことさんもかっこよかったんですけど、たまに出てくる白衣を着た鑑識の人がかっこよかったんですよ。その職人的な感じが。

 

 

下町の檜オケを作る職人さんとか、そういう職人さん特集をテレビで観たりするのは大好きなんですけど、これは語弊があるかもしれないんですが、当時はそういう伝統をコツコツ、脈々と受け継いでいく職人さんというより、現代に直結したエキスパートという意味での職人さんに憧れていて。なぜかその向かう先が検死を行う鑑識官だったんですね。

でまあ、そこで骸骨が出てくるんですけど。

 


今はもしかしたら、3Dの何かでやるのかもしれないですが、当時『死体は語る』っていう鑑識の有名な本があって、えらい影響を受けたりして、鑑識官ってなんてかっこいいんだって。

 

 

 

 

 


(筆者・追記)
『死体は語る』上野正彦・著
監察医としての30年を超える経験に基づいて記されたノンフィクション。
検死・解剖を通じて解き明かされる真実の重要性を説いた法医学入門の書。

 

 

 

 


【大森】
それで担任の先生に鑑識の仕事がしたいですって言ったんです。
担任は体育の先生で、生活指導を担当していることもあって地元の警察と色々仲が良くて(笑)
その方面から調べてもらったら、まず美術大学を出なきゃダメだっていうことがわかってですね。
それまで、世の中に美術学校って、あるらしいことは知っていたんですけど、世間知らずで、どうやって入っていいかもわからなくて。調べていくうちに、まずは美術予備校っていうところで勉強しなきゃいけないということがわかって、そこにイヤイヤ行ったわけです(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
イヤイヤ(笑)

 

 

 

 

【大森】
その予備校が、門の外で揮発性の液体が入った缶を一日中しゃぶってるやつとかいてですね(笑)
なんて荒んでいて、やなところなんだって思って。
一刻も早くここを出たいと思いながら、そこで2年浪人することになりまして(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

ええー(笑)


 

 

 

 

【大森】
(笑)そこから愛知県立芸術大学ってところに入ったんです。
でも、浪人中も大学に行ってる間も、本当に美術の展覧会とか興味なかったんですね。自分の目的は鑑識官になることだったので。

 


で、その学校が周りに何もないところで、あまりにも春休みとか暇だったので、作品を作って公募展みたいなのに出したんです。それは出品料の5000円くらいを出せば、誰のでも並べてくれるんですけど。
そこに自分が作ったものを並べていたら、いろんなことを言われるわけです。あーだの、こーだの、お偉いさんみたいな人たちから(笑)
だけど、それに関して腹立つとか、嬉しいとかということはなくて、自分が作ったものに人が興味を持つってことが自体が面白くて、こんなことってあるんだ、って思ったんですね。その時点ではまだ鑑識官になるつもりだったんですけど、今考えると、後々作品を作っていくにあたっての、きっかけの一つになった出来事かもしれません。

 


それから先ほど前半でお話しした話に繋がるんですけど、籔内 佐斗司先生のところにお世話になることになって、所謂、本当に腕一本で食ってる、美術大学の中では見たことがない「作家」という姿を見ていたら、それが強烈にかっこよくて。
かと言って、じゃあ、今日から俺は彫刻家だって決心した記憶はないんですけど、そこでアシスタントをさせていただいてるうちに、気がついたら作家になろうと思っていたって感じですね。

 

 

 

 

 

 

【司会】
不思議ですね。鑑識から彫刻家にって、もともと描いていた道とは違う道を歩いている。でも、それが大森さんにとって悪い結果ではないんですよね。

 

 

 

 

 

【大森】
うん。そうですし、前の夢をどっかで諦めた、捨てたって思いもなくて。
自然とそうなっていたんです。

 

 

 

 

 

 


□ □ □ □ □ □

 


【浅田】
芸術大学って、目的が同じ人たちが集まっているわけだし、影響しあって何かやるってことはなかったんですか?

 

 

 

 


【大森】
たまたま僕がいた環境のせいだったのかもしれないですけど、なかったですね。
学校の中には、色々部活をやったりとか、飲み会をやったりとか、そういう一般的な大学生活を楽しみたいタイプと、一日中部屋に篭って出て来ない研究者みたいなタイプがいて。自分はどっちかといえば、後者のタイプでしたけど、その中で自分のオリジナル性をどうこうとか、自分の表現をどうこうよりも、大学ほど整った設備っていうのは、持とうったって一生持てないので、そこは割り切って技術訓練校だと思ってやってましたね。

 

 

 

 


【司会】
浅田さんの方は、先ほどの『まんが道』に出会って、そのままこう、漫画家になられたという感じですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
そうですね。でも、まあ、それは子供の時ですから、そのあとサッカー選手や野球選手に憧れたことはありましたけど。
あと僕はプロレス大好きで、一時期プロレスラーになるぞって思ってました(笑)
新日本プロレス入るぞって(笑)

 

 

 

 


【大森】
僕、家でずっとタイガーマスクかぶってました。

 

 

 

 


【客席】
(爆笑)

 

 

 

 


【司会】
大森さん、ちょいちょい、なんか放り込んできますね(笑)

 

 

 

 


【浅田】
自分で作ったやつですか?

 

 

 

 


【大森】
いえ、近所のおもちゃ屋で買ったチャチなやつです。
家に帰ると、まずそれをかぶって。

 

 

 

 

 

【客席】
(笑)

 

 

 

 


【浅田】
そうなんですね。
大森さん、年齢的に(タイガーマスク)世代ですよね。

 

 

 

 


【大森】
そうですね。

 

 

 

 


【司会】
私はそんなに詳しくないんですが、
新日派、全日派ってありましたよね?

 

 

 

 

 

(筆者・追記)
アントニオ猪木が旗揚げし、ストロングスタイルを掲げた新日本プロレス。
もう一方が、アメリカンプロレスを源流とし、ジャイアント馬場が設立した全日本プロレス。
当時はその2大団体が隆盛だった。

 

 

 

 

 

【浅田】
僕は新日派。

 

 

 

 


【司会】
大森さんは?

 

 

 

 


【大森】
僕はタイガーマスクオンリーだったんです。タイガーマスクに憧れて。

 

 

 

 


【浅田】
ああー、結構にわかですね。

 

 

 

 


【客席】
(爆笑)

 

 

 

 

 

【大森】
(笑)最近は佐山聡さん(初代タイガーマスクの正体)の動画をYOU TUBEで見漁ってます。

 

 

 

 


【司会】
(笑)一貫してますね。

 

 

 

 

 

【客席】
(笑)

 

 

 

 


【浅田】
今もマスクを被ってるんじゃ(笑)

 

 

 

 


【大森】
(笑)浅田さんがプロレスラーになりたかったのは意外ですねえ。

 

 

 

 


【浅田】
なりたかったですねえ。
でも、あんまり大きくなれなかったし。まあ、実際になるための努力もできなかったんだと思うんですけど。

やっぱり漫画を描くのが大好きで、それはもう努力じゃないですもんね。好きなことをただ夢中でやってるっていう。
大森さんがずっと粘土を作ってたっていうのとおんなじ。うん。

 

 

あと他の職業って、何をどうしたら何になれるのか、それが見えにくかったんですよね。
映画が面白いから映画監督になりたい、でも、どうやったなれるのか、なり方がわかんない。
漫画はね、何ページ描いて、この雑誌に送ってって、それがはっきり見えてたんで。

 

 

 

 

 

【大森】
そういう情報は自然と目の前にあるようで、自分が本気だと、ちゃんと調べてるのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

【浅田】
うん、そうですね。
そうなるために必要なことを、実は追求してるんでしょうね。

 

 

 

 

 

続く。

 

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

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よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

https://twitter.com/asadercover

 

 

 

                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

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                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

カフェソードフィッシュ / Cafe Swordfish
とある街の5街建てビルの屋上にあるという架空のカフェ、ソードフィッシュ。
その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

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| 対談 浅田弘幸×大森暁生 | 11:52 | - | - | pookmark |
対談 浅田弘幸×大森暁生(6)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

 

写真 縣 ケンジ/ AGATA Kenji ※記事中、表記のないものすべて

 

 

 

 

 

 

 

第6回 うみんちゅ君

 

 

 


今回のトークの中でもハイライトのひとつだったのが、この「うみんちゅ君」のお話。

当日、会場にも設置されていた「光たちの肖像」と名付けられた動物愛護センターに保護されている犬や猫の作品群は、大森さんのアーカイヴにおいて異質な存在として知られ、個展で発表された当時の衝撃たるや一目見て落涙する人もいたほどでしたが、作者本人が語る事実にはまた違った側面があったのです。

 

 

(補足的に、大森さんのコラム「PLEASE DO DISTURB」から抜粋させてもらった文章を交えてお届けします)

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 


【浅田】
大森さんて、何を込めて彫刻を作っているんですか? 例えば、この子には何を込めて?

 

 

 

 

 

(浅田さんの後方に展示されていた「光たちの肖像」という作品)

 

 

 

 


【大森】
この2点の作品は自分の中ではちょっと特殊で。
それこそ、こういう(ロゴマークの)ツノの生えた狼なんかは自分の中の私小説を普遍化したファンタジーだったりする部分もあるんですけど、同じ動物でも、これはもろ、ドキュメントなんですね。
熊本県にある「熊本市動物愛護センター」というところを取材して、そこに保護されていた犬を作りました。

 

 

 

 


動物愛護センターという施設は、迷い犬猫、遺棄、そして飼育放棄により持ち込まれた犬や猫を引き取り、譲渡先を見つける世話をしたり、場合によっては殺処分を行う場所。しかしながら、一般的にはやはり殺処分場としてのイメージが強く、各自治体にこのセンターはあるものの、その多くは実際、殺処分場そのものと言っても過言ではないだろう。この国では年間30数万頭の犬や猫が殺処分されている、という事実からもそれは明白だ。


大森暁生コラム「PLEASE DO DISTURB」2011.06.21 「熊本市動物愛護センター」より抜粋

 

 

 

 

(筆者・追記)
大森さんが彫刻だけで生計を立るようになる以前、美術の授業を受け持っていた動物専門学校の講師から、ペット業界をはじめとした動物にまつわる闇を聞いたことがあった。愛護センターと呼ばれている施設が実際には殺処分を行なっているということへの違和感。ずっと引きずったままだったその気持ちにケリをつけるべく、氏は思い立って各地の愛護センターに取材を申し込んだ。そこに保護されている犬や猫を作品にすることを前提として。

 

 

 

 

 

 

【大森】

動物愛護センターというものは各都道府県にあって。身近な東京、神奈川、千葉あたりから調べて問い合わせたんですけど、軒並み取材NGで。なおかつ、それを日本橋の三越本店での個展で発表したいんだと伝えると、ますますそんなのOKが出るわけがなくて。そこで働いている職員の方が別に悪いわけじゃないんだけど、その人たちが悪者に見えてしまうような取材ですから、受けてくれるわけがないんです。

そうしているうちに、ある方から「熊本の愛護センターは殺処分0を目指す活動をしているんで、そこに問い合わせてみたらどう?」っていうアドバイスをいただいて。
それで電話しましたら、あっさり「あ、どうぞ」みたいな感じで、拍子抜けするくらい。それで取材させていだたいたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一般的な愛護センターでは約1週間と聞いていたけれども、実際には4日目には所有権が無くなるらしく、つまりそこから先は誰かに譲るにしても、保護飼育するにしても、殺処分するにしても、それは各愛護センターの判断という事だ。実際、他の愛護センターでは収容頭数の都合上、4日目で殺処分される例も少なくないそうだ。
そんな中、ここ熊本市動物愛護センターでは、なんと長いものでは2年以上も保護飼育されている犬まで居るという。

 

 

前述の同コラムより抜粋

 

 

 

 

(筆者・追記)

熊本市動物愛護センターはその取り組みにより、殺処分0に限りなく近い実績を上げている。
一般的な処分に使われるガス室を、ボンベを撤去することで一切稼働できない状態にしてあるのがその意思表示だろう。
ただ、保護された段階で治る見込みのない病気に罹患していたり、譲渡や飼育が不可能なほどの凶暴性を持っている場合は麻酔薬による安楽死を施されることがある。麻酔薬の使用はガス室に比べて限りなく苦痛が少ない手法とされるが、年に数頭、そのようなケースがあることも現実である。
飼育が長期になればなるほどその費用が必要となるが、行政である熊本市の理解による予算枠や、個人からの寄付などのバックアップによってサポートされている。

 

 

 

 

 

 

【大森】
これは誤解してほしくないんですが、これらの作品は動物愛護団体的なこととか、慈善活動的なことではないんです。

僕はあまり、その子たちをかわいそうでかわいそうでしょうがないとか、もちろん、そういう気持ちがない訳ではないんですが、それだけが動機という訳でもなくて。

 


同じ犬や猫なのに、彼らは近所の犬や猫とは違う顔をしているんですよね。

皮肉な話なんですけど、単純に作りたい顔をしているんです。

作家としての意欲を刺激される、悪い言い方をすると下心的な部分も大きいので、あんまりその「いいことしているね」って言われても「そうじゃないんだけど」って。

 


ただ、こういう仕事(彫刻家)って、どこまでいっても、お医者さんとか消防士さんとか、世の中に不可欠な仕事をしてる人には頭が上がらない部分が自分の中にあってですね。まあ、その言い訳じゃないんですけど、自分の作家活動の中に、ひとつぐらい、そういうの(社会的に意味があると思えるもの)があってもいいんじゃないかと。

 

 

 

 

 

【司会】
発表された当時も拝見しましたが、ものすごく考えさせられる作品でした。
発表から随分経った今でも、その目、その表情が心に残っています。命を持った作品の持つ力というか。

 

 

 

 


【大森】
ありがとうございます。 この企画の展覧会は、観てくださった方の反応も、自分の当初の企画も、取材も、作っている時の気持ちもトータルで、こういうのが自分が思っていた「表現」なのかなって、今までで一番思える仕事でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 

 

【大森】
ここに行って面白かったのは、行く前はどんな気持ちになるんだろって思っていて、逆に何にも思わなかったらやる意味はないし、行ってすごく暗い気持ちになるのかなって。

 


そしたらすごく明るいんですよ、ここ。また行きたくなるような。
悲壮感とか重い仕事をしている感じがなくて。もちろん、だからこそ、そうされているんでしょうけど、表向きはすごく明るくて、空気がすごくいいんですよ。ちょっと意外なくらい。

 

 

 



【浅田】
え、まって。この作品の中には、その「いい空気」を込めているってことですか。

 

 

 

 

 

【大森】
そうです。だから割とこう、明るい作品だと思っているんで。

 

 

 

 


【浅田】
明るい作品!?

 

 

 

 


【司会】
ええー!!

 

 

 

 


【大森】
いや、そこで働かれている職員の方が、親しみを込めて名前をつけるんですね、保護されている犬や猫たちに。

 

 

この子はね、うみんちゅ。うみんちゅ君。

片目をずっとつぶってんなと思ってたら潰れてたんですけど、犬なのに猫背なんです。猫背でずっとこうやって見てるんです。
いまだに何故「うみんちゅ」なのかはわからないんですが(笑)

僕が取材させてもらった1ヶ月後ぐらいにね、引き取り手が決まったんですって。

 

 

 

 


【司会】
おお、それはよかった!

 

 

 

 


【大森】
決まったんですけど、逃げ出しちゃったんです(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
うみんちゅが(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
ええ、うみんちゅが(笑)

 

 

で、ある家からセンターに通報があって、見知らぬ犬が毎日家に来るんだと。
その特徴を聞くと、どうも、うみんちゅらしいと。

そしたら、その家にはすごいかわいいメス犬がいるんですって。
そこに毎晩、うみんちゅが来て(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(クスクス笑い)

 

 

 

 

 

【大森】

保護しなきゃいけないから、罠として檻を置いて、その中に餌を置いていても、なかなか入ってこない。

で、その雌犬のオムツ、そういうのがあるんですね犬用のオムツ。
それを置いといたら、うみんちゅが、

 

 

 

 

 

【司会】
あの、大森さん、大丈夫ですか、この話?(笑)

 

 

 

 


【大森】
一発で罠にかかったという。

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 


【大森】
そのエピソードを所員の方が楽しそうに話してくれるんです(笑)
(大森さんもやたら楽しそう)

 

 

 


【司会】
それを聞いた後だと、作品の見え方が違ってきますね(苦笑)

 

 

 


【浅田】
それ、どうなの。聞いた方がよかったのか、聞かない方がよかったのか(笑)

 

 

 

 

【大森】
保護されたうみんちゅ君、またしばらく猫背になってたらしいです(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 


シリアスなムードから思いもしない方向に逸脱していったエピソード。司会者の困惑はさておき、結果的に大森さんがこの作品で本当に伝えたかったところに着地してもらえたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ここでトーク前半部分が終了し、いったん休憩になったんですが、大きな笑いに包まれた会場の余韻の中で、作品名の中の「光」というポジティヴな言葉の意味が、ようやくわかった気がしました。
彼らは決して悲観的な存在ではなかったのです。

 

 

 

 

 

「僕の話かい?」

 

 

 

 

 

 

熊本地震で被災した同センターのサポートを行った大森さん。1年が経過し、その後を記録した個展を、今年の8月中旬、日本橋三越本店にて開催予定です。
ご興味がある方は是非今後のオフィシャルサイトなどをチェックしてください。

 

 

 

大森暁生 オフィシャルサイト

 


大森暁生コラム「PLEASE DO DISTURB」

2011.06.21 「熊本市動物愛護センター」全文
 

 

BRAVE SONG WEB JOUNAL「その日を待つ命」
 

 


 

 


次回よりトーク後半戦。
多くの共通点を持つお二人ですが、それぞれが歩まれた道に関して、大きく異なっている点が明らかになっていきます。

 

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生×Cafe Swordfish

スペシャルコラボアイテムのご注文はこちら

 

延長後のオーダー締切は

6月25日(日)夜10時まで

とさせていただきます。

よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

https://twitter.com/asadercover

 

 

 

                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

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                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

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その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

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| 対談 浅田弘幸×大森暁生 | 20:51 | - | - | pookmark |
対談 浅田弘幸×大森暁生(5)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

写真 縣 ケンジ/ AGATA Kenji ※記事中、表記のないものすべて

 

 

 

 

 

 

 

第5回 やりたくない仕事はありますか?


 

 

 

やりたいことだけをやって生きていく。

そんな夢のような人生を誰しも願うわけですが、なかなかそうもいかないのが実際のところ。

それぞれ天職と言える仕事をなさっているお二人についてはどうなんでしょう。

今回のイベントが「やりたくない仕事」ではなかったことを祈ります……。

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 

 

【大森】
僕の作品は職人的と言われることも多いんですが、美術の世界が職人さんの世界と違うのは、「作品」として発表すると、技術があろうがなかろうが、世の中に需要があればそれで全てOKになってしまう。それは美術の素晴らしいところでもあり、怖い、危うさでもあるというか。

若いうちは、これじゃダメだと言われるような経験が、自分はあったほうがいいんじゃないかと思うんですよね。技術的なことに関していえば。

 

 

 

 


【浅田】
漫画の世界では編集者がいて、その人とのやりとりで作品を作っていくって過程があるんですよ。

僕がずっとやってきたジャンプみたいなところでは、その編集さんがOKを出さなければその上の編集長には全く通らないし、そうなると当然掲載される作品にならないわけで。本当にそこで苦労している若い子もものすごくいると思うんですけど。

彫刻家には、そんな存在っているんですか?

 

 

 

 

 

【大森】
それがまあ、本当は(作品を取り扱う)画廊さんであったりすれば一番いいんでしょうけれど、画廊さんていうのはもちろん作品を売るのが仕事ですから商業的なジャッジというのがあって、それだけをそのまま受けちゃうと、作家としては危ういこともありますよね。

 

 

 

 


【浅田】
すごい似てますね、それじゃあ。

 

 

 

 

 

【大森】
その編集者さんの能力もありますよね。

 

 

 

 


【浅田】
能力もそうだし、相性も大事ですね。でも編集者の基本は会社に利益をもたらす立場というか、その作品を売ることが目的ですから。そこと自分のやりたいことと、どうすり合わせるかっていう匙加減は、結構大きい問題ですよね。

 

 

 

 


【大森】
まあ、画廊さんであれば、作家を育てていこう、見守っていこうっていう人もいらっしゃって。そういう画廊さんは長期的に考えてくれる場合もあります。経済的な余裕ということが大きいのかもしれませんが、それがご時世的にだんだん世知辛くなってきている気はしますね。

 

 

若い作家さんには、そこでやっぱり良きアドバイザーとして二人三脚でやっていきつつも、自分の中で自分の仕事の基準……なんというか、仕事というのはそれぞれの幸せと直結している気がするので、その自分の幸せの基準まではブレないようにしてもらいたいなと思いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 

 

【大森】

やりたくない仕事はありますか?

 

 

 

 


【浅田】
……(無言で笑顔)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 


【大森】
あんまり聞いちゃいけなかったかな(笑)

 

 

 

 

 

【司会】
それは誰が得する質問ですか(笑)

 

 

 

 

 

【大森】
いや、それを乗り越えて今があるとか、そういうエピソードが聞けるかなと(笑)

 

 

 

 

 

【浅田】
そうですねえ。やりたくないことが、やらなきゃいけないことになった時に、いかに自分の方に引き寄せるかっていう。

そういう意味では、やりたくないことをやったことはない、ですね。

 

 

 

 

 

【大森】
ああ、ああ、はい。

 

 

 

 

 


【浅田】
全て、やっていいものに変えるしかないというか。
だって、言ってしまえば『I’ll』っていう漫画は、「バスケットボールのスポーツ漫画」という題材で渡されて。 それ俺に描かせる?って思った(笑)

 

 

でも、色んなことを突き詰めて考えているうちに、これだったら自分のものにできるっていうところに持っていって。連載後半はバスケシーンも、もっともっと描きたいと思いながら原稿に向かってました。

 


やっぱりその若い頃っていうのは、自分の全力でやりたいことに最初からOKを出してもらえるって、なかなか大変ですから。与えられたものをいかに自分の表現に変換するか、ということは常に考えていた気がしますね。そうすることで、結果的に自分が描きたいものにしていける。

 

 

 

 

 

 

【大森】
若い頃に「好きにやりなよ」って言ってくれる人もいるんですけど、自分は「あんまり期待されてないんだな」って受け取ってましたね。商業的にはね。そう言ってくれているのにくやしかったりして。

 

 

本来、作り手としては嫌うことなんでしょうけど、自分がやっていることをお金に変えようとしてくれている方が、自分が求められている実感があって。でも、そのために「こういうのを作って」と言われるとすごく反発しますけど。

 


あとは彫刻は、漫画もそうでしょうけど、手間がかかりますからね。イヤな仕事だと完成しないですよ、絶対。もう途中で嫌になる(笑) 気乗りのしない、これくらいの(小さい)作品より、本当にやりたい、作りたいなあっていうこんな大きなものの方がよっぽど早くできますから。

だから、そうなる前に、向こうの要望があったとしたら、それを揉んで揉んで、自分がこれなら作ってみたいというところまで持ってきてから始めるようにしてますね。

 

 

 

 

 

【司会】
そういうことで言えば、浅田さんのこのコラボイラストは、早かったですね。

 

 

 

 

 

【浅田】
はい。他に、先にやらなければいけないことがあるのに(笑)
大森さんから資料の写真をいただいた時に、うわあ、描きたい! と思って。

本当は何点か描こうと思っていたんですけど、それはさすがに、色々な人に怒られちゃうなと(笑)

 

 

 


続く。

 

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

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浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

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                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

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                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

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とある街の5街建てビルの屋上にあるという架空のカフェ、ソードフィッシュ。
その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

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| 対談 浅田弘幸×大森暁生 | 16:47 | - | - | pookmark |
対談 浅田弘幸×大森暁生(4)

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生トークライブ at D.B.Factory

花の咲く場所 -Flowers Always Bloom Somewhere-

 

 

 

 

 

去る2017年5月4日に開催した、

漫画家・浅田弘幸さんと、彫刻家・大森暁生さんのトークイベントの模様を

全10回にわたってリポートします。

 

 

 

司会・テキスト 大塚茂之(Cafe Swordfish)

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第4回 アシスタント制と工房制


 

 

 

多くの漫画家さんには一緒に作品を作っているアシスタントさんがいるということは、わりとよく知られている事実かもしれませんが、彫刻家である大森さんも、スタッフさんと分業で作る工房制で作品を作られています。

 

 

自分の作品の一部を誰かに預けるということ。単に雇う・雇われるというだけではない、経験という繋がりについて。

当日お手伝いいただいたD.B.Factory のスタッフの方々と、観覧席では浅田さんの元アシスタントの方々が見守る中での、その共通点と差異についてのふたりのお話。

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 

 

【大森】
浅田さんがアシスタントさんとお仕事をされるようになったのはいつからなんですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
僕が始めて連載をスタートした20歳の時です。

でもそれは1年半くらいで終わって。その時雇ってたのは一人くらいなんですけど。

 

 

 

 

 

【大森】
漫画家さんの業界では、アシスタントさんを雇うというのが一般的なんですか?

 

 

 

 

 

【浅田】
そうですね。漫画の連載って、人に手伝ってもらわないと成立しないんですよ。

今はコンピューターとかあって、随分手間が省けるようになったと思うんですけど、僕の時代はとにかくもう全部手作業だったんで、連載が始まるとアシスタントを入れて、終わると解散する、というのがふつうの形だったんです。

 


僕は月刊誌(月刊少年ジャンプ〜ジャンプSQ 集英社刊)で描いていたので、週刊で連載している人よりもっと手間のかかったものを、連載一回分のクオリティがより長持ちするものを描かなきゃいけないと思っていて。

『I’ll(アイル)』っていう作品は9年ぐらいやったんですけど、その間にアシスタントのメンバーが大体固まってきて、歳を重ねるごとに一人一人の技術がものすごく上がってきたんですよ。 その『I’ll』が終わった頃、僕は30代後半だったんで、少年漫画を描くのは次が最後かもしれない。なら、その連中で初回からクオリティの高いものをやろうと。始まる前から絵の方向性、コンセプトからみんなに説明して『テガミバチ』を始めたっていう感じですね。『I’ll(アイル)』とは画面の印象をかなり変えたので、古参のアシ君はめっちゃ困惑してました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【大森】

浅田さん自身もアシスタントの経験があるんですよね?

 

 

 

 

 

【浅田】

はい。

小谷憲一さんという、昔、週刊少年ジャンプで『テニスボーイ』っていう漫画を描かれていた先生のところで、18歳から2年半くらい。初連載のネームが通るまではずっとそこでアシスタントをやってました。

 

 

 

 

 

【大森】

その先生を選ばれたのはどうしてなんですか?

 

 

 

 

 

【浅田】

雑誌が同じだったんです、投稿した雑誌が。
で、家も近所だっていうことで担当(編集者)さんが連絡をくれて。


うーん、漫画の世界で「この先生に!」って希望して行くパターンってあるのかなあ?

 

 

 

 

 

【大森】

そうなんですか?

 

 

 

 

 

【浅田】

掲載誌の目次とかで募集をかけてれば、その目当ての先生のところに応募するってことはあるかもしれないですけど、それが叶うことがどれだけあるのかなって感じですね。
そこで人材としてストックされて別のところに、自分のテイストとはかけ離れた人のところに手伝いに行くこともありますし。

 

 

 

 

 

【大森】

はああ、そうなんですねえ。

 

 

 

 

 

【浅田】

そこはちょっと美術とは違いますよね。

 

 

 

 

 

【大森】

漫画家さんのアシスタントさんていうのはバックミュージシャン的なイメージなんですかね。割と職人的な。

もちろん、その人もいつかは主役にと思ってらっしゃるんでしょうけども。

 

 

 

 

 

【浅田】

ほんとピンキリですよ。助っ人で一日でパッと役に立つやつもいれば、長ーいこといてあまりの実りのないパターンもありますし。まあほんとにその人によるところですね。でも一つ言っておきたいのは、いくらアシスタントとしてのスキルがあっても、漫画家になれるかどうかはまた全然違うんです。ある程度の技術は何年かやれば習得出来るけど、作家性というのは、その人自身が磨いていかないといけないんで。

 

 

 

 

 

 

 

□ □ □ □ □ □

 

 

【大森】

美術は、ただでさえ食えないっていうイメージの世界ですし、人を雇うなんてもう、もってのほか
なんですけど(笑)

 

 

自分は20代の頃、籔内佐斗司先生という彫刻家さんの元でアシスタントをさせて頂いていました。「せんとくん」のデザインをされた方という説明が一番わかりやすいかな。あのお仕事で一般的にも広く知られましたが、その前から美術界では大変な大先生だったわけですけれども、大学生の頃に作品を拝見して大ファンになって。
ファイルを持って工房に見学に行かせていただいて、働かせてくださいなんてとてもじゃない、考えもしなかったんですけど、そしたら作品のファイルを見てくださって、明日から手伝わないかって声をかけてもらって。

 

 

 

 

 

【司会】

明日から(笑)話が早いですね。

 

 

 

 

 

【大森】
帰ってから風呂ん中で1時間ぐらい悩みました。ヒザ抱えて(笑)

 


僕が入った時は5人ぐらいでしたかね。その籔内先生が工房制で作品を作られていたんです。

最後、僕が独立する間際には大きなお仕事が入ったのもあって、30人ぐらいの大所帯になってたんですけど。

 

 

 

 

 

【浅田】

30人!?

 

 

 

 

 

【司会】

工房制というと、まず作家の先生がいらっしゃって、それを支えるスタッフの方がいて、みんなで作品を作り上げる分業制というような。

 

 

 

 

 

【大森】

そうです、そうです。
僕は当時、アシスタントのイメージって、先生がこう放り投げた道具を後ろから拾い集めて回るとか、そういうのがあったんですが。

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】

あんまりいいイメージじゃなかった。実際そういう作家さんを見てたことがあったんですね。

なので、そういうのはイヤだなと思っていたら、いきなり作品を磨かされたり、彫らされたりして。それでアシスタントってもののイメージがガラッと変わりました。

 

 

 

 

 

【浅田】

そこでそのシステムを学んだってことですかね。

 

 

 

 

 

【大森】

そうですねえ。ただ、そこの仕事をしていてすごく幸せだったんですけど、実は、将来的に自分がそのシステムをやろうとは全く思ってなかったんですよ。だからあんまりアシスタントとか工房制っていうことに関しては学ぼうって意識はなくて。もちろん他のことはいっぱい学びましたが。

 

 

それから、先生のところに8年弱ぐらいいた後、30歳で独立しまして一人でやっていたんですけれども、30代後半ぐらいになって、予期せぬことだったんですけど、ちょっと手を故障しまして、彫刻刀が持てなくなっちゃって。その時にその状態がいつまで続くのかわからなかったので、仕方なく、その時展覧会に来た芸大生の子に声をかけたと。

だから本当にもう手が治るまでの一時的な措置のつもりだったんです。

それが一緒に仕事をしてみると、大変なこともありますけど、楽しいこともあって。

その時に気づいたんですよ。自然と工房制ができてるということに。

 

 

でも、まわりを見渡してみると美術業界にはあんまりいなかったんです。工房制でやっている作家は。

 

 

(観覧席の)皆さんからすると、作家ってなんかこう、山の中で作務衣を着て一人でっていうイメージありません? そうすることで作品にそのままその人・作家本人の何かが強烈に入るみたいな。
そういうことを期待されるが故なのか、割と工房制っていうのは昔からちょっとこう軽く見られるってところは歴史的にはあるんですね。アール・ヌーボーとかアール・デコとかいう時代でも、工房制ってなると急に商業的になるというか。

だから、そうやって作った作品に対してお客様が「あ、これ自分一人で作ったんじゃないんだ」って言われることがあって、それがものすごくイヤと言いますか、一番屈辱的なことぐらいに思っていたんですね。昔は。

 

 

それから物理的に仕事量が増えて来まして(作品が)なかなか量産できるものではないので、ある程度需要に合わせることを考えれば、自分が作らなきゃいけないパーツであったり主人公に極力集中して、それ以外の任せられる仕事は、そこは分けてもいいのかなって。楽をするためではなく、あくまで需要に対応するための分業だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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【大森】

 

周りからは、うちは若い子たちと楽しくやっているように見えるらしくて。
で、スタッフをつけてみる友達もいるんですけど、その人から、
「アシスタントって、何を頼めばいいの」って言われて(笑)

 

 

 

 

 

【司会】

雇ったはいいけど、何をやらせたらいいのか(笑)

 

 

 

 

 

【大森】

そういうのを聞くと、うちは自然にそういう形ができたなあと。
それって、自分がアシスタントをやっていた当時の経験があってだなと、今になって思いますね。

 

 

 

 

 

【浅田】

漫画もね、アシスタントとして使われてそのシステムを学んで、自分が使う立場になった時にここは任せてもいいとか判断ができる。だからアシスタントの経験がない作家さんのところにアシスタントに行くと大変なんですよ。ムチャ振りがあったりとか。

 

 

 

 

 

【司会】

じゃあ、アシスタントを使って仕事をしようとする漫画家さんにとって、自分のアシスタントの経験て大事なんですね。

 

 

 

 

 

【大森】
将来的にその人のとこで働くアシスタントさんにとっても大事なのかも(笑)


まあ、自分が当時こう思っていたことを彼らも思っているんだろうなと。その辺は手に取るようにわかる(笑)
だから、いい関係ができるのかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

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【大森】

工房制を取る作家は多くはいませんが、普段ひとりでやられている作家さんが一時的にスタッフを使う場合はあるんです。例えば大きなプロジェクトが入った時だけ各美大に声をかけて、ワーっと一時的に集めて、終わったら解散みたいなことは多いです。

 

 

 

 

 

【浅田】

傭兵部隊みたいな。

 

 

 

 

 

【大森】

ああ、そうですね。ただ、同じアシスタントであっても例えばその単純作業を任せるだけだったら一時的に集めたスタッフでも事足りるかもしれないんですけど、非常にキザなことを言うと、さっきの動物の件で生きている / 生きていないで言うと、
最終的なね、目とか大事なところを作るのは僕にしても、全体に出るオーラみたいなものって、携わる人が愛情を持ってくれないと出ないんじゃないかなって思うんですよ。その愛情を、もちろん僕自身のレベルで持ってくれってのは難しいかもしれないですけど、ある程度の愛情を持って接してもらうためには一時的に集めた人たちでは無理なんじゃないかと。そう思うとスタッフとの日頃の関係も作品にとって大事なのかなあと。

 

 

 

 

 

 

 

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【司会】

今日の会場が大森さんの工房というわけで、大森さんのスタッフの方もこの話を聞かれているわけですよ。そして浅田さんの元アシスタントの方も会場にいらっしゃるという。

 

 

 

 

 

【大森】

単純に、おひとりで仕事するのと、アシスタントさんとやってた時とどっちが楽しいんですか。

 

 

 

 

 

【浅田】

そうですね、今は解散してひとりでやってますけど。
うーん。いや、楽しいのはひとりです。

 

 

 

 

 

【司会】(元アシスタントさんに向かって)

だそうです(笑)

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【浅田】

一番楽しいです(笑)

 

 

それはだってしょうがない。人と仕事をするっていう、それはやっぱり自分の大事なものを人に預けるわけですから、そこをどう割り切るかってところには葛藤があって、どうしようかな、やっぱり俺描いちゃおうかなとか(笑)ひとりだとそういう気苦労がないというか。
全部俺が描きゃいいよとか(笑)

 

 

それが漫画の連載となると、どんどん間に合わなくなってくるので、その時はそうやって人にお願いしてまたやるしかないのかなあと思ってますけど。

 

 

 

 

 

【大森】

僕も最終的にはひとりでやりたいなと思ってるんです。
工房制がイヤなわけじゃないですよ(笑)今後の関係のため一応(笑)
イヤなわけじゃなくて、今はそれを楽しんでます。

 

 

 

 

 

【司会】

そういうことを踏まえて言うと、今回のイベントをやらせていただくにあたって、工房のスタッフの方には事前準備から設営、運営のお手伝いまで大変お世話になりまして。皆さんの積極性が素晴らしいなと思っていたんですけど、その方達もですね、これから作家としての道を歩もうとしている人もいるでしょうし、いずれ独立ということがあると思うんです。

 

 

 

 

 

【大森】

もちろん。すでに作品の発表を始めているスタッフも、何人もいます。

 

 

 

 

 

 

【司会】

先ほどの漫画家さんがアシスタントを経験することで、アシスタントの使い方を学ぶということがありました。経験というのは素晴らしいことで。ここから巣立った後、それが生かされる時がきっとくると思うんです。そういう学びの場所でもあるのだなあと。

それがとてもまぶしく見えました。この天窓くらい(笑)

 

 

 

 

 

 

 

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【大森】

美術家って、本当に何度も言いますけど、食べれないわけですよ、若い頃は。

 


自分が若い頃、「彼は大森君っていって芸術家なんだよ」って紹介をしてくれる人がいるわけですよ。良かれと思って。
僕自身は自分の職業のことは彫刻家と名乗るようにしていて、芸術家とは言わないんですけど。

でも、「芸術家」だって紹介してくださる方がいるわけです。すると、すごいですね! て言ってくださる方もいるんですけど、世の中には「芸術家」って言葉にすごくカチンとくる人がいるんですよね(笑)
「え? だからなんなの? 芸術家って言って、食えてんの?」っていう人がいるんです。

 

 

 

 

 

【浅田】

ええ。わかります。

 

 

 

 

 

【大森】

こっちはそう紹介されただけなのに、向こうから急にトゲトゲした言葉を投げられる(笑)

 

 

それで当時は「まだ全然食べれてなくて」という話をすると、
「じゃあそれ趣味じゃん」てなるわけです。「ええ、今のところは」みたいな感じで答える。
でも、それじゃあ悔しいんで、頑張ってなんとかこう食べれるようになるわけです。一人でなんとか食べていけるくらいに。

すると今度はなったらなったで「いいよねー、好きなことだけやって食べてて」と言われる。

 

 

 

 

 

 

【客席】

(笑)

 

 

 

 

 

【大森】

「芸術家って気楽でいいよねー」って人がいるわけです(笑)
そういう人が例えば100人の中にひとりいるだけで、とても気になる。性格的に(笑)

 

 

 

 

 

【浅田】

もっといると思います。「好きなことをやれていいよね」は、たしかに昔、よく言われたなあ。

 

 

 

 

 

 

【大森】

なので結果的にではありますが、怪我がきっかけで、経営的にはカツカツながらもスタッフ達と一緒に仕事をするようになって、やっぱりわずかでも世の中に雇用を作ったっていうことが、自分の中でびっくりするくらい大きい気持ちの変化だったんです。

当時はね、まだ雇用なんて言えるほど立派じゃないですけど、一応これで何を言われてももう、社会に貢献しているんだと、堂々としていられると。そこが一番大きくて。
工房制については、今ではそういうアイデンティティ的な面も大きいですね。

 

 

 

続く。

 

 

 

 

 

目次

 

 第1回 黒い壁の中へようこそ(5/17 UP)

 第2回 義眼神父と火の頭蓋(5/22 UP)

 第3回 コラボレーションはトレードマークで(5/26 UP)

 第4回 アシスタント制と工房制(6/4 UP)

 第5回 やりたくない仕事はありますか?(6/6 UP)

 第6回 うみんちゅ君(6/7 UP)

 第7回 まんが道とはぐれ刑事純情派(6/10 UP)

 第8回 上村一夫さん(6/20 UP)

 第9回 浅田さんと大森さんに訊いてみたいこと(6/20 UP)

第10回 少し先の未来(6/20 UP)

 

全10回を公開しました。

 

 

 

 

 

 

浅田弘幸×大森暁生×Cafe Swordfish

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浅田弘幸 / HIROYUKI ASADA
漫画家。1968年神奈川県横浜市生まれ、鎌倉市在住。1986年に集英社月刊少年ジャンプでデビュー。
代表作に「眠兎」「蓮華」「I’ll」「テガミバチ」。アニメのキャラクター原案や、イラストレーターとしても活動中。
筋肉少女帯のCDジャケットや宮沢賢治作品、中原中也詩集の表紙など手掛けている。

https://twitter.com/asadercover

 

 

 

                                   Photo by Nojyo

 

 

大森暁生 / AKIO OHMORI

東京都出身 愛知県立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。
彫刻家 籔内佐斗司氏のアシスタントを経て独立。氏

国内外のギャラリー、百貨店、アートフェア、美術館等での個展や展示に加え、
多くのファッションブランドとのコラボレーションなど幅広く作品を発表。
フォトエッセイ+作品集「PLEASE DO DISTURB」(芸術新聞社)、
大森暁生作品集「月痕 つきあと」(マリア書房)を刊行。

akioohmori.com

 

 

 

      

                                ©️HIROYUKI ASADA, Cafe Swordfish

 

 

カフェソードフィッシュ / Cafe Swordfish
とある街の5街建てビルの屋上にあるという架空のカフェ、ソードフィッシュ。
その物語をモチーフに、様々なジャンルのクリエイターが創作活動を行う、コンテンツサイト&オンラインストア。

cafeswordfish.com

 

 

 

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