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ジズス(5)

 


私がヘレナとの距離に身を焦がしている頃、兄のヴィゴは闇の世界で生きていた。



学校を早くに辞め、母の制止を振り切って家を出たヴィゴは、生きるために法に触れる仕事に手を染めた。
若いながら彼は、彼の躊躇のない暴力に引き寄せられる不良たちをまとめあげ、街の顔役のひとりになった。



たまに会うヴィゴの目は、澱をたたえて赤く濁り、その視点は常に定まることがなく、彼の日常が緊張の連続であることを伺わせた。
それでもヴィゴは、私に優しかった。真新しいシャツや箱入りの鉛筆を買い与えてくれ、母が払えなくなった学費を、いつのまにか彼が払ってくれていた。



ヴィゴの強烈な野心が既存の組織と拮抗するまでになると、私たち母子は父の援助を必要としなくなった。



椅子に後ろ手に縛られた父は、裸の全身を虫に覆われた姿で見つかった。耳も鼻も舌もなく、陰部は何本にも裂かれ、太腿から下の肉はウロコ状に削ぎ落とされ、むき出しのひざの皿とすねの骨がぶらさがっていた。



誰の仕業かを察し、母は心を失った。そして、一本のロープにくくって、自らの灯火を消した。
母の体を一緒に梁から下ろすとき、兄の目に涙はなかった。

「ジズー。何かを得ようとすると、何かを失ってしまう。どうしてなんだろうな」



ひとりになった私は命じられるまま、兄の仕事を手伝うことになった。
家を引き払い、5ブロックほど先の通りにあるヴィゴの屋敷の一室に移り住んだ。
通学鞄の底には違法な商品が隠され、簿記の習得に使っていたノートには、これから失われる命のリストが書き記された。
私は何も考えず、ヴィゴの言うとおりにしていればよかった。



半年ほど経って、胸のうずきを感じ、ヘレナの様子を見にいった。
見慣れた扉に、借り主募集の貼り紙があった。
ガラス越しに見た店の中はがらんどうになっていた。



ああ、愛しいヘレナ。
次に彼女に会ったのは、薄暗いヴィゴの寝室であった。





ジズス(6)



 

 

| ショート・ストーリーズ | 19:56 | - | - | pookmark |
ジズス(4)

 


ヴィゴが先に学校へ行き出してから、私にひとりだけ親しい友人ができた。
道向かいのパン屋の娘で、名をヘレナといった。



短い髪の、ひとつ年下のヘレナ。忙しい両親にかまってもらえない日の彼女は、私たちの部屋の窓をたたく。
その小さな手は、いつも水色の毛糸で編んだミトンで覆われていた。店のオーブンで負った、ひどい火傷の痕があったのだ。



体を隠さなくてはならないという点において、私たちは出会ったときから同志であった。
ふたりは時間を埋め合った。同じ絵本を何度も読み合い、道端の石を蹴り、頭の上を飛ぶ虫の群れをずっと眺めたりした。



お互いの秘密を見せ合った日のことをよく覚えている。
雪が降っていた。誰もいない倉庫。積み上げられた小麦粉の袋の影で、ヘレナは私の曲がった腕をさすった。
焼けただれ、癒着してしまって開けない指。
私の胸は高鳴った。彼女もまた天使の羽を持っていたのだ。



若者と呼ばれる年頃になると、私は不器用にも、ヘレナを避けるようになった。
母親が胸を患ったことをきっかけに、水色のミトンは象牙色の手袋になり、彼女は店を手伝い始めた。
学校の行き帰りに店の中をのぞいた。長いブロンドの髪を結び、お客と笑顔で対しているヘレナが、自分よりずっと大人に見えた。



ヘレナ。その失われた名前。私の生涯の愛。





ジズス(5)


 

 

| ショート・ストーリーズ | 14:02 | - | - | pookmark |
故郷
 


 もはやそれが余震による揺れなのか、吹き抜ける風によって揺れているのか、わからなかった。深夜の駐車場、軽自動車の運転席。街路灯の光で緑がかった暗闇の中、うとうとはするものの、地面から持ち上げられるような感覚で何度も目が覚める。



 風がうなり声をあげ、フロントガラスに小枝や砂の粒を叩き付ける。この状況に追い打ちをかけるように、予報ではさらに明け方から雨になるらしい。



 借りた軽自動車は狭く、シートを後ろに下げ、めいっぱい倒しても、足を伸ばしきることはできない。首の後ろに畳んだタオルを敷き、痛む腰の位置に脱いだパーカーをあてがってみる。窓は砂や蚊が入って来ないように締め切っているので息苦しい。べったりとした汗と油。日中の片付けで頭からかぶった綿ぼこり。みんなこんな想いをしているのだ、毎日。



 のどが乾いた。持ってきた水はすでにない。用も足したい。以前あそこにあったはずのコンビニは営業しているだろうか。この小さな公園の駐車場には、他にも車中泊をしている人がいる。向かいの建物はさらに多くの人が休んでいる避難所だ。こんな時間にエンジンをかけ、起こしてしまうのは忍びない。車から這い出るようにして、静かにドアを閉めた。



 やはり風が強い。夜の雲が走るのが見える。
 暗い駐車場から公園の敷地を横切り、線路を超える。コンビニがあったはずの更地を通り過ぎる。大きな交差点に出る。
 この町を横断する大動脈、国道57号線。
 歩道橋。点滅する歩行者信号。ここは中学・高校の通学路としても、社会に出て仕事を初めてからも数えきれないほど通った道だ。時間のせいもあるが、人も車もいないこの道を見るのは初めてだった。



 はるか遠くにコンビニの灯りが点いているのが見える。
 長く伸びた自分の影の下で、アスファルトがまた揺れた。





 羽田を立ち、着いたのは昼の2時過ぎだった。降り立ってすぐに、むっと感じる盆地特有の湿度。
 空港は被害のあとを隠すこともないまま粛々と運行されていた。天井から剥がれ落ちたパネル。立ち入り禁止区域のテープや、水道は飲料に用いないことの注意書きが貼られていた。



 地元の駅までのシャトルバスに乗ったのは俺ともう一人、年配の女性だけ。ドアを開けてくれたドライバーの男性は片足を引きずっていた。
 駅前は様変わりしていて、そこをスマホで確認するのは不思議な気分だった。



 まず、母が避難させてもらっている町の老人用施設に行った。そこのスタッフの方たち、そして母と一緒に避難している人たちに挨拶した。みんな疲れや心労がたまっているだろうに、思いの外、悲壮感を感じることはなかった。あるおばあさんは同居している息子の嫁との折り合いがよくないから、もうちょっとここに居させてもらうんだと笑った。先に自宅に戻ったというその義理の娘は、せいせいすると言いながら、その義母の好物を差し入れに度々来るのだという。一方で避難中に仮の公共窓口に離婚届を出した夫婦もいたらしい。



 そこの避難所は水や食料の不足はないと事前に確認していたので、お礼がわりに東京から持参した甘いものを差し入れたあと、母の運転する車で祖母が入院している病院へ向かった。
 車中、母に、私は何歳になったと思うと問われた。答えられなかった。母は笑った。



 祖母は腰を骨折していて、自分で起き上がることができなくなっていた。ベッドに横になったまま、家族のことなどしばらく話す。
 思えば、おばあちゃん子だった。祖母は共働きの両親に変わって時間や心を埋めてくれた人だ。
 手を握って、帰る前にもう一度来る約束をした。



 東京に比べて、西にある九州は日が長く感じる。実家に着いたときはもう夕方であるはずだったが、まだ午後半ばといった日の高さだ。
 家の内外、被害を確認して、限られた時間でできることを判断する。



 隣宅との境であるブロック塀はくずれた部分を撤去しなければならないが、危険、なおかつひとりでは到底時間が足りない。後日、知り合いの業者に頼んでやってもらうことにしよう。



 タンスや本棚などは元に戻しても余震でまた倒れる可能性がある。分割したり横に寝かせたりして、床に低く配置し直さなければならない。これがひとりでは骨だったが、ちょうどそのタイミングで高校時代の友人が来る。手には軍手をはめている。さて、やろうか、と。ありがたい。



 床に転がったままの古いテレビ。インターネットなど無縁な母たちにとって、テレビは大事な娯楽であり情報源、生活に欠かせないものだという。幸い本体は破損していないようだったので、起こして床に直に置く。台から落ちたときに千切れてしまった配線をつなぎ直す。



 風呂場の亀裂が地味にひどい。このままだと水漏れするだろう。ここも後日、業者に見にきてもらう。



 大きな家具類は片付いても、飛び出した中身まで整理する時間はない。震災で発生したゴミは町が特別に処分してくれるとのことだが、資源別に細かく仕分けなければならない。とりあえず、専用の色違いの袋をリビングの端に並べて、後日、母がやりやすいように準備する。



 友人が帰る時間になる。
 見送る前に、店内の半分だけ営業しているハンバーガーショップに寄った。
 コーヒーを飲みながら、今後のことについて話す。彼の両親は東京の兄さんの家に身を寄せている。
 彼の地元も甚大な被害を受けた。それはおそらく多くの住民の将来に関わる。



 実家に戻って母を連れ、いったん避難所に戻ってから、むかし仕事でお世話になっていた和食屋に行く。母は避難所で食事を提供してもらってはいるが、その日は好きなものを食べてもらいたかった。
 刺身と焼き魚の定食を出してもらう。胃を切っている母は小食で、全部は食べられないと言うのでごはんを半分もらう。彼女は、魚もおいしいが、あたたかいみそ汁とお茶がうれしいと言った。
 隣りの席の酔った男が高校の後輩だということがわかる。聞けば彼の家は全壊して、庭で生活しているという。
 帰り際、マスター夫妻が母に、袋一杯のドーナツと、枕崎の鰹節のパックを渡してくれる。翌朝、避難所の人たちと分けて、とても喜んでくれたそうだ。
 避難所まで歩いて戻り、玄関先まで母を送って、となりの公園に停めた車のなかで一夜を明かす。





 翌日は雨の中、母と共に父の墓を見に行った。
 傘を手に、ぬかるんだ坂を登りきってみると、軒並み倒れている墓石。その多くが台座から落下して大きく破損している。そのなかで、辛うじて我が家の墓は向きが変わった程度で無事だった。装飾の部分や外枠の部分は倒れているものの、墓石自体が無傷なのはありがたかった。ただ、雨で地面が不安定なこともあり、今日一日でどうこうできる状態ではない。建ててくれた業者さんに見てもらうという母の話しにうなずきつつ、手を合わせた。



 実家で、帰りの時間いっぱいまで片付けをしていると、連絡がつかなかった弟がひょっこり現れた。数日間ケータイが壊れていたそうだ。土産を押し付け、ブロック塀の件や、震災ゴミの持ち込みについてなど、事後の手配を頼んだ。
 彼が暮らす別の街の避難所は配給もなく、ここより厳しい状況らしい。観光地の宿泊施設に食材を納めていた彼の仕事は、得意先の多くが壊滅的な状況となり、今後の見通しが立たっていない。復旧を信じて、それまでバイトでもすると言う。彼と彼の妻もまた車で寝泊まりしている。



 飛行機の時間がせまる。



 再び訪れた病院で、祖母にまた来ると告げてから、母に駅まで送ってもらう。



 駅のロータリー。空港へのシャトルバスはもう出発する寸前だった。あわただしく母の車を降り、別れの挨拶もそこそこにバスに乗りこむ。



 バスの道すがら、窓の外には、いたるところ屋根の上のブルーシートが目につく。空港へ向かうこの道の先は、今回の地震で最大の被害を受けた地域に続いている。
 本当に身近でわずかなことしかできなかった。こんなにすぐ帰ってしまうことに後ろめたさを感じる。



 来てくれてありがとう。
 別れ際の母の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。



 飛行機の窓の下、変わり果てた故郷を闇が包む。




 

| ショート・ストーリーズ | 14:58 | - | - | pookmark |
パウダー

昼過ぎに空港に着いて、すぐにレンタカーを借りた。


仕事で使うことはあったにせよ、自分でまともに運転するのは、東京に引っ越すときに車を手放して以来のことだった。さっそく標識を見落として禁止区域をUターンしてしまい、バンパーが対向車の鼻先をかすめた。


ダッシュボードにはめ込まれたスピーカーから流れるラジオ。年配の男性タレントと若い女性アナとの会話は、懐かしい南国のイントネーションだ。


当時まだ建設中だったバイパスが開通していた。あの頃は、この道が完成するなんてずっと先のことだと思っていた。


自販機でお茶を買い、木陰に停めてひと息いれる。


渋滞にはまり、車線変更に苦労しながら、抜け道に出る。


海に着いた頃には、後ろから追いかけてきていた太陽が、紫の闇に融けだしていた。
海岸線に沿って続く大きなカーブ。窓を開けると、ぬるい風が吹き込み、湿った砂のにおいがした。


岬のパーキングに車を停めた。


フェンスの向こうの水平線を眺め、手に持った小さな瓶の蓋を回す。


白い粉が空に舞った。
そしてそれは鳥のように風をつかみ、金色に輝く海の彼方に消えた。


数年越し、やっと叶えられた彼女の願い。


反対があった。葛藤があった。本当にこれでよかったのか。それは、永遠にわからない。



戻る道でファミレスに立ち寄り、真っ黒な窓に映った店内の灯りを見ながら、コーヒーをすすった。


奥の席に何組かの家族連れがいて、浴衣を着た子供たちがはしゃいでいた。
今日は市内で花火大会があったはずだ。それを観に行った帰りだろう。


「楽しい時間って、すぐ終わっちゃうよねー!」


「ねえ、また来年も来よう! 絶対ね!」


私は席を立った。


車に戻ってシートを倒し、両手で顔を覆った。
待つしかなかった。どうしようもない感情が、そこを通り過ぎてしまうまで。



| ショート・ストーリーズ | 11:53 | - | - | pookmark |
ジズス(3)

 


父のイゴールは野卑な性格で口数も少なく、仕事から帰ると酒を飲んで寝るだけ、といった生活をしていた。政治や読書やスポーツなどの多くの事柄と同じく、私たち兄弟にもまったく関心を持っていないようだった。

 



彼が私たちと接触してくるのは、母の体を欲したときだけ。
深夜、寝室を手荒くノックする音。暗闇の中、そっと部屋を出ていく母。
 

 


私にとっては腐っても父親であったが、兄にとってイゴールは、愛する母を苛む、不潔すぎる害虫であった。

 



兄の憎悪は黒い炎となり、その熱は彼の内側を日に日にただれさせていったのだ。

 

 



ジズス(4)

 

 

 

 

 

| ショート・ストーリーズ | 01:14 | - | - | pookmark |
ジズス(2)

 


幼い頃、私は常に4歳上の兄、ヴィゴと一緒だった。
 

 


ヴィゴは私のことをジズーと呼んだ。それは私が赤ん坊だった頃から、彼だけが使っていた呼び名だった。

 



私の持ち物は、着るものであれ、おもちゃであれ、すべて兄がくれたお古だった。

 



私の湾曲した腕を隠すために、彼は自分の長袖のシャツを着せ、袖の長さを、拳が隠れるくらいに調節しながら言った。
 

 


「いいかい、ジズー。この袖をまくってはいけないよ。天使様が自分の羽だと思って、お前の腕を持って行っちゃうといけないから」
 

 


彼はやさしく微笑んでいたが、私はその本当の意味をすでに学んでいた。兄にとっても大切なはずの少年期は、弟の私を嘲笑や迫害から守ることに費やされていた。

 



以来、夏のどんなに暑い日も、私は長袖のシャツで過ごした。無用な暴力を避けるために。
 

 


人々の、私に対する暴力。そして、それを防ごうとして増殖する、ヴィゴの過剰な暴力。


 

 

 

ジズス(3)

 

 

 

 

 

 

| ショート・ストーリーズ | 00:05 | - | - | pookmark |
ジズス(1)

 


マレーンの最初の夫は、戦争で南に行ったまま帰って来なかった。
 

 


彼女は生まれて間もない男の子を抱え、不安のうちに、鉄道会社で働く独り暮らしの叔父を頼った。
 

 


ごく狭い寝室と、わずかな衣食を得る代償として、マレーンはそのやせ細った体を提供することに同意した。
 

 


たぎった欲望を昼夜の境もなく注ぎ込まれ、やがて彼女は身ごもった。
 

 


風の強い新月の晩に生まれた男の子は、背中一面に生えた獣のような太い毛と、いびつに曲がった二本の腕を持っていた。
 

 


彼につけられた名前は、ジズス。
 

 


この国の古い言葉で「奇妙な猿」という意味であり、
 

 


それが私の名前である。

 

 

 

 

ジズス(2)

 

 

 

 

 

| ショート・ストーリーズ | 02:20 | - | - | pookmark |
DAYS



農家に嫁いだ友人から連絡があって、大量の枝豆をもらった。


「暑い日が続いてるでしょ? ビールと一緒にどうかと思って」


ありがたいことではあったが、枝についたままで90Lのビニール袋にいっぱいという量は、さやを摘むのだけでも、見るからに難儀しそうだった。


「そうだ。ヨシハルに手伝ってもらおう」


ヨシハルは近所に住んでいる小学生だ。名前は純日本風だが、まん丸の、ひとなつっこい目をした黒い肌の少年で、母親と二人で暮らしている。私がここに引っ越してきた日に出会って以来、ちょくちょく遊びに来ていた。


学校帰りのヨシハルを見かけてベランダから声をかけると、その数秒後には、部屋の呼び鈴が激しく連打された。
ランドセルを床に放り投げながら、ヨシハルが驚いたように言った。


「何これ? 小松菜!?」


私は冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出した。


「枝豆だよ。なんで小松菜だと思った?」


「葉っぱが似てる」


「ん? そうか?」


新聞紙の上に枝の山を広げると、鮮やかな緑色の葉っぱが生い茂った間に、かわいらしいふくらみを帯びたさやが、沢山くっついていた。
ストライプ模様のストローを噛みながら、指でそれをつつくヨシハル。


「なんか、鉄棒にぶら下がって遊んでるみたい」


ヨシハルは本当に子供らしい笑顔で笑うので、たまに胸を突かれたような気持ちになる。


「これ、全部とるの?」


「そうだよ。まあ、音楽でも聴きながらのんびりやろう。ヨシハル、何が聴きたい?」


「うーん、じゃあ、てれびじょん」


「おまえ、よく聴くね、これ」


もともとこの部屋に小学生が聴きそうなCDはない。ヨシハルはジャケットのインパクトだけでCDを選ぶ。
キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』、マイルス・デイヴィス『ビッチェズ・ブリュー』、スティーリー・ダン『ガウチョ』。


しかし、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』のとなりに並んでいたテレヴィジョンは、そのメロディと、きらめくようなギターのリフで、彼のお気に入りになっていた。




 TELEVISION の2nd ALBUM『ADVENTURE』から


 “DAYS”





「この歌が一番好き。なんか」


「ああ、いいよな」





気がつけば、夏の日が傾いていた。
ボウルにいっぱいの枝豆を持たせて、手を振るヨシハルをベランダから見送った。


キッチンで茹でたばかりの枝豆をつまむと、開けたままの窓から、夕方を知らせる街のチャイムが聴こえた。
ヨシハルと、あの子の母親が一緒に食べているところを想像した。


今日だけは、あの子にやさしくしてくれたらいいな、と思った。



 
| ショート・ストーリーズ | 01:10 | - | - | pookmark |
祈り
 
「やっぱり雪になったか」


深夜のバーでひとりごちた。
二階から見下ろす窓の下のアスファルトが、白い粒の重なりで見る見るうちに覆われていく。
割れたガラスのかわりに窓枠にあてがわれたビニールが、突風を受けて激しい音をたてる。
さすがにもうお客さんは来ないだろう。


残り少なくなったストーブの燃料を補充し、ほこったグラスをあらかた洗い直すと、他にやることがなくなってしまった私は、店のディスプレイ代わりに家から持ってきた本の中から、目についた一冊を手に取った。


サム・シェパードの「モーテル・クロニクルズ」。
ヴィム・ヴェンダースの映画「パリ・テキサス」の脚本を担当した、脚本家であり俳優でもある彼の散文集は、手に入れたのはずいぶん前だったが、タイミングが合わずになかなか最後まで読み切れなかった本だ。


ソファに腰掛け、硬い表紙を開いた。


気がつくと、スピーカーから流れていたピアノが止まっている。
テーブルの上のコーヒーが、すっかり冷めてしまっている。


雪の固まりが屋根の上に落ちた。
その音で気をそがれた私は、余白の上のゆらめく影にしおりをはさんだ。


あいかわらず、腹部の鈍痛は消えない。
私は目を閉じ、手を当て、それが何でもないことを祈った。


窓の向こうは真っ白い闇だ。







| ショート・ストーリーズ | 05:16 | - | - | pookmark |
プレイバック

夜の駅のロータリー。


ひとり、縁石に座ってコーラを飲む。
紙コップの中の氷がじゃらりと音を立てる。
見上げた空は濁ったオレンジ色。


フェンスの向こうに見えるラーメン屋の店先で、
そこのおかみさんが、自分の息子くらいの若い男に怒鳴られている。


小さな体をこわばらせ、腰が折れるくらい頭を下げるおかみさん。
酔っているのか、ふらついた足で積まれたビールケースを蹴り上げる男。
ケータイをいじって見て見ぬ振りをするツレの女。


フィルムのコマのような光を引き連れて、下りの電車が止まる。


階段からまばらに降りてくる乗客たち。
その最後尾、待ち合わせをしていた友人が手をあげる。


ヤツは俺の横に並んで座る。眼鏡のレンズに街灯が映る。


「なんか、やっぱ、ムリだったわ。ふたりとも、嫁の方についてくって」


友人は煙草をくわえるが、いつまでも火を点けようとしない。
コーラを飲みながら、俺もそいつの方を見ない。


正面の信号が青になった。
俺は氷を噛み砕いた。


ロータリーは、最終のバスが出るところだ。


| ショート・ストーリーズ | 03:52 | - | - | pookmark |
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